映画『泣く子はいねぇが』ナマハゲと父親

札幌のシアターキノで企画された「分福映画祭」の中の1本、是枝裕和監督率いる映像制作者集団「分福」が企画協力し、秋田出身の佐藤快磨監督が「ナマハゲ」をモチーフにした長編デビュー作。

秋田の男鹿半島の伝統行事、子供たちを泣かす神様「ナマハゲ」たちの様子がまず映し出され、子供が産まれたばかりの若い夫婦が役場に出生届を出す場面が描かれる。夫のたすく(仲野太賀)は子供ができたことを単純に喜んでいるが、妻のことね(吉岡里帆)はどこか苛立ちを隠せない。夫婦のギクシャクしつつある関係が二人の会話から感じられる。大晦日の夜に、地元の伝統行事「ナマハゲ」に参加しようとする夫に、妻は「お酒は飲まないんでしょ」とクギを刺す。しかし、地元の仲間とともに参加したたすくは酒を断れず、ある失敗をしでかしてしまう。酒に酔って、まっ裸になってテレビに映ってしまうのだ。伝統行事を必死で守ろうとしていた地元の仲間たちも、妻との約束も、すべてを台無しにしてしまう。そこから一転、2年後の東京に時空が飛ぶ。あまり説明がなくても、たすくが妻と離婚し、地元にもいられなくて東京に逃げ出したことを鮮烈に一瞬で描いている導入部は見事だ。

東京でサッカーに興じつつ、お酒に酔った女の子(古川琴音)を自室で介抱し、コトに及びそうになったところで、たすくは慌てて「俺、子供がいるんです。バツイチだけど」と女の子に告白する。人柄はイイが、どこか優柔不断で流れに任せてイイ加減に生きているダメ男を仲野太賀が好演。彼のこういう役柄は多いが、まさにハマリ役だ。

この映画はそんな父親になれなかったダメ男が、再び地元に戻り、元妻のことねを探し、彼女と再び向き合うが、結局フラれてしまい、ラストはナマハゲとして娘に会いに行く場面で終わる。父親の自覚を持てなかった男が父親になるまでの物語であり、その覚悟ができたときは時すでに遅く、元妻は別の男との人生を選んでいた。ラストのナマハゲという仮面を通してしか娘と向き合えなくなった男のせつなさから発想された映画だということは、監督本人からも語られていた。東京でも、友と密漁する場面も、母のアイスクリーム屋を手伝う場面も、たすくが真剣に汗して働く場面は描かれない。どこか中途半端でいい加減な姿がそんなシーンの積み重ねから伝わってくる。

幼稚園で娘の浦島太郎の学芸会をこっそり見に行くが、どの子が自分の娘かさえ分からない場面がいい。海辺の砂浜で車の中での元妻との最後のやりとりもせつない。吉岡里穂も抑えた演技で好演。是枝映画にも通じる家族を作りたくても作れなかったせつなさが描かれている。

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