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我慢は目に見えない、ゆっくり侵入してくる


#我慢に代わる私の選択肢

我慢で思いつくことはいくらでもある。派遣社員という弱い立場だったのでパワハラは数え切れないくらい受けてきた。20代鬱病にもなった。

我慢したくなければ辞めればいい。でも生活のこと、先のことを考えると辞められない。だから笑顔の下で我慢する。誰にだってありますよね。優しい人はとくに。職場でも学校でも家庭でも…。


家事をしていると自分のことが後回しになるってことありませんか?

例えば食事。

献立は夫や子供の好きなものをつい作ってしまう。自分が好きなものはしばらく作ってない。洗濯物がたまったら子供の物を優先して先に洗濯する。欲しい靴があっても、服があっても、まず子供の分を買って、お金に余裕があれば自分の物を買う。趣味の編み物も家族の分を編んで最後に自分の物を編む。

なんだかな…気がつけば無意識に自分のことより家族の事を一番に考えるようになった。それはそれで良いことなんだろうか?

夫に「なにか欲しいものある?」って聞かれても、いつも「特にない」と言う。本当にない。たまに甘い物が欲しいくらい。スーパーへ行って「好きなお惣菜買えば?」って言われてもピンと来ない。子供の好きそうなものはすぐに発見できるのに。これってどういうことだろう?


無意識に自分が消えている。


好きな食べ物は知ってる、でもそれほど食べたいと強く思えなくなった。私らしい服装ってしばらく考えたこともなかった。とりあえず安いの買ってたし。休日に行きたいところへ行こうと思っても、どこへ行ったらくつろげるのかわからない。まるで定年後のサラリーマンみたいだ。


私の好きなものは…好きなものは?


自分のことを忘れてしまうって我慢してたってことかもしれない。


最近、そのことに気づいて私は私の破片を拾うように、好きだと感じたらそれを意識して選ぶようにした。好きだという気持ちはまだ枝豆ひと粒くらいの大きさだけど、たくさん拾えば少しずつ大きくなって卓球ボールになってソフトボールくらいになって、空っぽの私を埋めてくれるはずだ。


あなたは自分の好きなものをハッキリと言えますか?


自分を自分の中から追い出さないでください。我慢してることに気づいてください。この記事を読んでいるあなたは優しい人なのです。