いまの政府の施策に欠けているモノ

偶然に見つけた「戦略の創造学」の書を読んで気付いたのが、いまの政府の施策がなんか少しづれていると感じていた自分の気持ちの回答が、ここにある気がしたので思うママ書いてみました

ドラッカーの言葉に【顧客を満足させることはあらゆるビジネスの目的であり使命である。それゆえ〜。あるとき、顧客が見る、考える、信じるそして欲するものを、経営者は客観的な事実として受け入れなければならない】とある。

まさに、政治家の方々は、国民が欲するものを、自分たちのチカラや関係性の都合でなく、客観的な事実として認知して素直に施策を立案するだけで、円滑な社会実現に近づくのではないだろうか?

そのためには、デザイン思考による【共感】を軸とした企画を施策の中に盛り込み、データや理論上の立案だけでない要素が、いま政治への国民の関心喚起へと繋がるのではないだろうか?

ビッグデータや統計解析によるベースは、当然に大切な要素であるが、包括的な人間を相手として、そこにある課題「ココロ」に感じる苦しみ、悲しみ、不安、希望、喜びなどに寄り添う企画が、足りない或いは配慮されていない。

例えば、世帯所得960万円以下の10万円、18歳以下に給付。これから多少は修正され、拡大されるかもしれないが、根本的に誰も共感しないルールだということになぜ気づかないのか?

顧客が見る、考える、信じるそして欲するものを、経営者は客観的な事実として受け入れなければならない

いま、国民が欲するものが本当に、この施策にあると考えているのか? それとも花火として打ち上げることが大切と考えたのか? 

本当に困った人々には、この給付では助けにならない。これから頑張る人々にも、安心を与えられない。いまを迷う人々にも解決の糸口に繋がらない。

10万円の意味は、国民が欲する【金額、期間、対象】とはかけ離れているから、ということ誰も共感できないという事実。メディアもアンケート調査しない。野党も対抗案を策定しない。

いっときの10万円は、確かに助かる。でも、すぐ翌月には、実りの見えない畑が広がり、収穫までどのように生きてゆくのか、誰も想像ができない社会を私たちは生きている気がすると感じるのは、私だけだろうか?

自助、共助、公助へと繫がる道筋は、誰がつくるのか?絶望感を持つ人々の声は、どこで誰が拾うのか?そのスキームがまったく見えないところに、恐ろしい無力感と失望を感じる人々が沢山いる気配を感じるのは私の思い過ごしだろうか?

みな、自分の能力、チカラを最大限に活用し、活動して、結果、社会のプラスになった事が感じられる〜そんなチャンスをつくるための給付金を望んでいるのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?