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言葉と感情が見つからない

先程、夫と息子と同じ病気を抱える仲間の訃報が届きました。

夫と同世代、小さいお子さんがいる飄々と明るい方でした。集まりでは子ども同士一緒に遊ばせてもらったり、同じ立場の奥さんに相談に乗ってもらったこともありました。正直、お子さんには遺伝しなかったことを、ちょっと羨ましく思ったこともありました。言葉と感情がまだ見つかりません。

同じ境遇の方達と繋がり始めて4年ほど。すでに顔を合わせた方とのお別れが何回かありました。マルファン症候群のお別れは突然が多いのです。常染色体優性遺伝(25%は突然変異と言われています)なので、ほとんどの方は親御さんも同じ疾患。となると早くに亡くなられて片親で育った方も少なくありません。

私も日々、心肺停止だったらどうしようと、無意識にうっすら思っている気がします。

今日は息子の体育を心配した1日でしたが、元気に過ごせているし、夫も来月手術を控えているとはいえ、命に関わるものではなく、一応元気に働けている、私が抱える不安は杞憂なのかもしれないな、と思った矢先のできごと。

やはり杞憂ではない現実を思い知らされます。

私の体調を案じてくれる方は、無理をしないでね、ご自愛してねと言ってくださいます。でも、正直、何が無理で、何がご自愛なのかがわからなくなっています。

よく考えたら、この数年は、万一私が早く死んじゃったら子どもが困るだろうなということを常に頭の片隅に置いていました。

子どもそれぞれに渡るように死亡保険を自分にかけ、目一杯愛情を注ぎつつも、さほど手はかけず、干渉せず、自立するように育てています。私はいつのまにか死を意識した生活を送るようになっていたんだな…と気づきました。

今は、死なないように生きるのは難しい、後悔のないように生きようと暫定的な結論を出しています。でもこれもたぶん正解ではないのもわかっています。

その場、その場のリラックス方法は知っています。もちろん体は適宜休めます。よく寝て、休みも意識してとります。

でも、楽しいことは色々あるけれど、今は心底安心できる場は、ないのです。まあ、人生は多かれ少なかれそんなものでしょう。今生で落ち着く場に辿り着くことはあるのかな…。

身体からの警告があり、色々と反省中ですが、現状を我慢したり、やりたいことに気づかないふりをしたり、前向きなふりをして諦めたりする方が、私には毒だったように思います。

やっぱり自分を脅かすことや不安からは、誰からであれ、何からであれ、全力で逃げて自分を守りたい、自立したいという気持ちに、誠実に向き合うことにしました。

たぶん、まだまだ強がっているし、血迷っていると思います。でも、不安の本質に向き合う…それがきっと私の安らぎにつながる気がしています。

今日はラガールの話を書きかけていたのですが、ショックな気持ちを整理できず、別の話を書きました。

奥さんやお子さんのことを思うと言葉がありません。こんな時に、自分のことばかり書いてしまってお恥ずかしい。まだ信じられなくて気持ちが追いつきません。ご冥福をお祈りします。