リスタート

 君は、キャンバスをイーゼルに掛け、緑色の絵の具を背景の部分に載せていった。中央に位置する女性が掲げるまるい赤い物は、太陽であろうか。それとも彼女の意思を表しているのか。
「……クリスマスカラー」
 原色の赤と緑が並ぶ配色はクリスマス以外では早々お目にかかれない。
「もちろん、これから色を重ねていくのよ」
 それくらいは知っているよ。
「不思議なものね、赤と緑なんて。こうしてみると互いの色の主張がぶつかり合って――私が美術の先生で、生徒がこのコントラストで作品を仕上げてきたら、色彩の点数はあげられないな。それが12月にもなると街中この色だらけでしょ」
 そういうと、君はキャンバスを手に取り、これからの着色の算段を立てる。
 うまくいきそうかな?
「うん、これはいける」

 その時下の階から君の事を呼ぶ声がする。
「いけない。電車に乗り遅れてしまう」
 そう言うと、油壺に筆をいれ、大急ぎで洗浄をする。今日使用した筆は2本だけなので比較的楽だ。
 続きはまた今度?
「そうなるわね、本当は絵の具が劣化するからあまり間をおくのは良くないのだろうけど、この場合はしかたないわね」
 次に実家に戻ってくるのは盆だね。
「ええ、そうよ。夏の間に仕上げるわ」

***
「次の電車は12:40よ。タクシーを使う?」
 母が時刻表を確認しながら言う。腕時計で確認すると、12時を少し回ったくらい。
「待っている方が時間がかかるわ」
 私は大急ぎでコンタクトレンズ用品や化粧品をまとめ、再び二階の自分の部屋へ駆け上がる。前日のうちにまとめておいた荷物を肩にかけ、韋駄天さながら階段を駆け下りた。
 階段を下りると玄関は目の前だ。いつもなら、仏壇でご先祖様にあいさつをするところだが、今回は時間がないので省略させてもらう。
「車に気をつけなさいよ」
と、我が子のせわしなさをたしなめるがごとく母が言う。
 そこへ玄関の慌ただしさを聞きつけ、柔和な顔つきの祖母が顔をだす。いつもにこにこ、ほがら顔。
「おや、もう帰ってしまうのけぇ」
 そう言われると、何とも申し訳ない気持ちになってしまうが、ゴールデンウィーク中の帰郷である。何週間も大学から離れるわけにはいかない。
「ごめん、おばあちゃん。また今度ね」
 背中越しに祖母にお別れを言い、少しかかとの高いミュールを履き終え、玄関の戸を開け、ぴしゃりと閉めた。

***
 外に出ると風が君の頬をそっと撫でた。君はまぶしそうに、瞼の上に手のひらをかざし、空を仰ぎ見た。見事な五月晴れだ。そして透き通る青空の下、君は風を切って歩き出す。
 君は、カツン、カツンと、足下から小気味良い音を響かせながら歩き続けていた。そして口を開く。
「『五月晴れ』の本当の意味が、梅雨時にみられる晴れ間のことだっていうのは、私だって知っているわ」
 おや、何を言い出すのだろう?
「でもね、それでも『五月晴れ』っていうと、新暦の五月の、今日のような天気の事を指しているように思えるのよ。こんなにも気持ちがいいんですもの。サツキとメイだって、きっとこんなさわやかな日に生まれたんだわ」
 最後の方は少々飛躍があるように思えるが、言いたいことは伝わった。

***
 私が利用する駅は、大正15年築、木造平屋建ての無人駅である。構内には、売店や改札口があるわけもなく、申し訳ない程度に長いすが設置されているだけの、文句のつけ所がない完璧な無人駅だ。子供の頃、祖父と共にこの駅に散歩に出かけた時には、ちょっとした売店がまだ存在して、チョコのお菓子を買ってもらった。しかし、現在の駅を見回すと、果たしてそんなものがあったのかと、思わず自分の記憶を疑ってしまう。
 もちろん、電車の本数も絶望的に少ない。よく小説などで田舎の様子を表現する時に『ローカル線は1時間に1本』などと書かれることが多いが、こちらは2時間に1本である。格が違う。

***
 君は、この駅に2時間ぶりに停車した電車に乗り込み、車掌さんに声をかけ、目的地までの切符を買った。人はまばらであるから、座るところに困ったりはしない。君は出入り口に近い席を確保し、荷物を棚に上げ、少しだけ窓を開けた。勢いよく風が首の辺りに吹き込んできたが、君は気にする様子も無く、外の景色を見ていた。
 30分もしないうちに、窓の外には絶景が広がる。眼下には、地元県民が言うところの、母なる川が流れ、川の向かい側には新緑の青がパノラマに広がっていた。『緑燃え』などという言葉があるが、誰も傷つけることのない優しい緑の炎が、まさに山全体を包み込んでいるようだった。
「ここは年中素敵なの。秋は紅葉が、冬は雪化粧がまた格別。春には桜も見られるわ。この景色を見るだけでもこの電車に乗る価値はあるわね」
と教えてくれた。
 しかし、当の本人は言葉ほど感慨を受けている様子もなく、ただぼんやり遠くの方を眺めていた。

 どうかしたの?
「いえ、なんでもないわ――ううん、ただちょっとおばあちゃんの事を考えていたの。さっきの駅はおじいちゃんとの思い出のある駅なんだ――うん、おじいちゃんは私が小学校二年生の時に亡くなっちゃったんだけど、それを考えるとおばあちゃんも結構なお年なのよ。もちろん、呆けているとかじゃなくて、とっても元気なのよ。ご長寿クイズ番組なんかに出たら、満点を取っちゃうくらいしっかりしているわ。でもね、時々ね――話し方が年をとったなって思っちゃうの。なんて言うのかな、テレビでお年寄りの方にインタビューすると、画面がせわしなくなる感じってない?聞いてもいないことまで堰を切ったようにしゃべり出すあの感じ。声も必要以上に大きくて、何回も同じ話をするの。まるで『私を忘れないで、私はここにいるんだ』って無理に主張している気がして。それを聞くと、私はすごく悲しい気持ちになってしまう」
 そこまで言い終えると、君は目線を窓の外から、自分の足下へと移していた。そして、首を大きく横に振って、
「ううん、やめましょう。こんな事考えるなんて、おばあちゃんに対してすごく失礼だわ」
 そう言いきると、君は自分の気持ちを切り替えるように、電車の窓を閉め、トートバックから文庫本を取り出し、膝の上で静かに読み始めた。

***
「あの――すみません」
 突然、座っている頭の上から声をかけられた。視線を本から外し、辺りを見回しても、周りには私しかいない。
「はい?」
 語尾が上がった間抜けな返事になってしまった。目の前に立っていたのは、黒地のダークグリーンのポロシャツに濃い目のジーパンという出で立ちの中年の男性だった。年の方は40歳の後半といった所だろうか。服装の清潔感から悪い感じはしない。彼は私の視線が自分に集中したのを確認してから、
「次の『越後大島駅』のところで、駅名の看板をバックに写真をとってももらえないでしょうか?」
と聞いてきた。そして、カメラはあります、と肩にかけたショルダーバックを両手で支えて見せた。なるほど、私は理解した。昔から察しは良い方だ。特にことわる理由も無かったので、私は二つ返事で了承した。
 いわゆる『鉄道マニア』の方なのだろう。男の人というのは往々にして、理解しがたい趣味を持つものだ。鉄道のすばらしさは残念ながら理解できないが、男性の趣味というものに理解を示す事のできる年にはなっていた。
 しばらくすると、次の停車駅を告げるアナウンスが流れてきた。私はそわそわしながら、立ち上がり、周りを見渡すと、先ほどのポロシャツのおじさんが少し離れたところに座っていて、目線で合図をしてくれた。カメラの用意をしている。電車に緩やかなブレーキがかかる中、私たちは出入り口付近で扉が開くのを待っていた。
「もし、電車から閉め出されたら笑っちゃうな」
なんて考えていると、気持ちを察したようにポロシャツさんは、
「大丈夫です、車掌には事情を伝えておりますから」
と言ってくれた。なるほど、これが正しき鉄道マニアの態度であるか。
 ホームに降り立つとすぐ近くに、何十年も天日に晒され、白いペンキがはがれ落ちている駅の看板が目に入った。小学校のグランドにあった百葉箱のような色合いであった。これによると『越後大島』の次の駅は『越後下関』であるらしい。ポロシャツさんから渡されたカメラは、私が普段使い慣れているデジタルのそれではなく、フィルム式であったが、シャッターをきる動作に違いはない。
「はい、撮りますよー」
と声をかけ、レンズ越しに彼が看板の隣でピッと背筋を伸ばすの確認した。私はポロシャツさんが看板に腕をかけたたり、にこやかな表情をとるのを待ちかまえていたが、彼は口を眉一文字に閉じたまま、直立の姿勢を崩さなかった。緊張とまではいかないまでも、ひたすらに顔をこわばらせながら彼はまっすぐこちらを見ている。
 その表情には年齢にそぐわない愛らしさがあった。学校の集合写真を撮る時、男子はみんなこんな表情をしていたな、なんて考えると思わず笑いがこみ上げてくる。こうなると私は止まらない。おかしさが体全体を伝わり、カメラを構える腕が震えてくる。笑いをこらえてレンズをのぞけば、ポロシャツさん、ますます体が固くなっている。どうしても狙いがつけられず、私は、彼の姿をレンズから外し、ただ看板だけをレンズいっぱいにキャッチして、シャッターを切った。パチリ。

***
 君は「手がぶれたかもしれない」と言って、もう一枚、今度はちゃんとその人と看板が写るようにきちんと撮影した。おじさんはお礼を言いながらカメラを受け取り、そして二人はすぐに電車に乗り込み、それぞれ元の座席に戻ってきた。君は、ふぅ、とため息をつき深く座り込んだ。
「まいったわ。笑っちゃって。変に思われなかったかしら?」
 でもきちんと写真は撮り直したんでしょう?
「もちろんよ。だって『富岳百景』です、なんて言って通じなかったら嫌ですもの」

***
 腰を下ろしたのもつかの間、すぐに乗り換えの駅に到着した。構内のアナウンスによると、私が乗り換えるべき電車はすぐ向かい側のホームに停車してあるが、出発には20分ほどの時間があるらしい。私はホームに降り立ち、自動販売機で緑茶のペットボトルを購入した。空気は乾燥していて、家を出る時は感じなかったが、今は日差しが強くなっていた。周りを見渡すと目の前に迫っていた山々はいつの間にか遠くに移動し、開けた大地が広がっていた。遠くには海が見える。建物は少なく、乾いた赤茶色の線路が遠くまで伸び、さびれた工場やミルクメロン色の球いガスタンクが見えるだけだった。
 座り続けて固くなった体をほぐすように、大きく上に両腕を伸ばした瞬間に、隣の喫煙スペースで先ほどのポロシャツさんがたばこを吸っているのが目に入った。あちらも同時に気が付いたのだろう。「先ほどはどうも」と声をかけられた。日本人らしい、曖昧なあいさつである。まだ電車の出発までには時間がある。何も言わずに立ち去るのは失礼かもしれないと思い、私は緑茶で一口飲んで喉を潤し、線路のずっと先を眺めながら、
「暖かい日が続きますね」
と何とも無難な話題を提示した。
「本当に、暑いくらいです」
とポロシャツさん。おお、天気の話題というのはなんと便利な物だろう。会話が成立している。
「学生さん?」
「そうです、帰郷していて今から大学に戻ります」
「僕も昔は学生をやっていました。もう三十年以上前の話ですがね」
 四半世紀以上前の話である。気が遠くなるほど昔のような気がする。そうすると、年齢は50才を超えているということだろう。彼が言うには、現在は岡山の中学校で国語の教師をしているらしい。ならば『富岳百景』が通じたかもしれない。
「岡山ですか。ずいぶんと遠くからいらしたんですね」
「はあ、まあそうですね」
 その言葉には少し、照れのような物が感じられた。失礼にあたるかもしれないが、
「旅行が――いえ、電車がお好きなのですか?」
思い切って尋ねてみた。ただの旅行好きならば、わざわざこんな電車は使わない。ポロシャツさんはますます照れながら答えた。
「ええ、こればっかりは昔から好きでね。JRの路線を回るのはこれが2周目です」
 2周目。これには流石に驚いてしまった。新宿二丁目の住人にこの話を聞かせたら、「どんだけ~」の大連呼が聞けるだろう。
「変なやつだとお思いでしょうが――」
「いえいえ」
 私はすぐに否定した。
「子供の頃に、祖母に連れられて電車に乗ったことがあるんです。ちょうど近くに新しい駅ができたのだと思います。母は『わざわざ用もないのに乗る必要はない』って止めたみたいですけど、祖母は『いんや、これからの時代に向けて、新しい物をどんどん見せておかなきゃいかん』なんて主張したみたいです。近くの駅から乗って、一駅分だけ電車で移動して、そこから歩いて家まで戻ってきたんですけど、おばあちゃんは、ずっと『たいそう立派なもんだ』って僕に言い聞かせてくれました。その時は、特に感動したわけではないのですが、やっぱり潜在的に感じるところがあったんでしょうね。この年になってもまだこんな事をしています」
 彼はそこまで言い終えると、たばこの火を灰皿でもみ消した。
 途中から、祖母の呼称が『おばあちゃん』に変わっていた。

***
電車の発車時刻が近づいてきた。おじさんはぺこりと頭を下げてから、電車に乗り込んでいった。君はまだ遠くを見ている。そして、口を開く
「――フォレストガンプ」
 え?
「一期一会よ」
 君は、笑顔で答えた。
 新しく乗り込んだ電車には、先ほどより少し乗客が増えていたが、座ることが出来た。君は先ほどと同じ姿勢で静かに本の続きを読み始めた。電車は静かに動き出し、スピードを上げていく。窓の外には大きな建物が見えるようになった。農村と都市の境目をこの電車は走っている。
 電車は、世界と世界を結ぶ。ただ座って本を読んでいるだけで、私たちを『ここ』から『別の所』に運んでくれる。数時間後、改札を出ると目の前にあるのは『別の世界』。しかし、当然の事ながらその間も世界はつながっていて、その狭間の世界にも、大地は続いており、変わらない空が存在する。人々は生活し、数え切れないほどの物語が生まれている。
 その時、気が付いた。
 君は、先ほどまで静かに本を読んでいた君は――今、わずかに泣いている。

***
 私は、電車の中で『詩歌の待ち伏せ』という本を読んでいた。選ぶれた数々の素晴らしい詩はもちろんのこと、それを紹介する著者のやさしい語り口がたまらない。少しだけ読んで、あとでゆっくり味わおうと思っていたが、読み出すと止まらない。もっと、もっとと読み進めてしまう。
 ページを進めると、ある一つの詩が紹介されていた。それを目にした時に、私は体が震えた。気が付くと目から涙がこぼれていた。

悲しみ 石垣りん
私は六十五才です。

このあいだ転んで
右の手首を骨折しました。

なおっても元のようにはならない
と病院で言われ
腕をさすって泣きました。
お父さんお母さんごめんなさい。

二人とも、とっくに死んでいませんが
二人にもらった身体です。

今も私は子供です。
おばあさんではありません。

***
「わたしね、この電車に乗った時から、ずっとおばあちゃんのこと考えていたの。おばあちゃん、私の大好きなおばあちゃん。そしたら、いきなりこの詩がでてきたでしょう」
 文字通り『待ち伏せ』をくらったんだね。
「まったくよ。『待ち伏せ』されて、いきなり横面をひっぱたかれた感じだわ。それだけじゃないわ。私ね、大人の年齢って良く分からないのよ。30の人も、40も50もまとめておじさんおばさん。男の人だって、小さな子供をみて、今何才くらいかって分からないでしょう?小学校何年生って言われれば別でしょうけど」
 確かにその通りかもしれないね。
「でしょう?だからポロシャツさんは私が思っていたより、ずっと年をとっていて、そこからさらにそのおばあちゃんの話が出たのよ。そんなの私には歴史と言ってもかまわない時代のお話だわ。でもね、この本の中で著者は子供がけがをした時の親の悲しみについて、『自分が子供を持つ年齢になったからではなく、親を失ったからこそ実感するようになった』って言っている。『あくまでも問題は自分と自分の親との関係である』って。いくら自分が年をとって子供ができて、もしかしたら孫がいるかもしれないけど、おばあちゃんの前ではいつだって自分は子供なのよ」

 君は、続ける。
「だからね、なんて言うのかしら、そのおばあちゃんはいくら肉体が滅びたって、この世からいなくなったわけじゃないのよね。その子供達や孫達――いえ、関わったすべての人たちに大切なモノを残している。だって、そのおばあちゃんがいなければ、ポロシャツさんと私は絶対に会うことはなかったわ。私のおばあちゃんだって同じよ。おばあちゃんは私より先にこの世からいなくなるわ。悲しいけど仕方のないこと。でもね、彼女は絶対にいなくなるわけじゃないんだ」
 そこまで言い終えると、君は少し赤くなった目でこちらを見つめた。涙は止まっている。つかれた?
「すこしね。めずらしくいろいろなことを考えたから」
 電車の到着まではまだ時間がある。少し休んだら?
「うん――そうする、ありがとう」
 君は肩の力をぬき、静かに瞳を閉じる。いつの間にか、電車の中は夕日の紅に染まっていた。

***
「お母さん、お父さん、私はいつまでも貴方達の娘です」
「おばあちゃん、お父さんを生んでくれてありがとう。そして、いつまでも元気でいてね」

***
君がホームに降り立つと、夕日は沈みかけ、辺りは薄暗くなってきた。あと数時間もすれば、闇が世界を覆い、空には無数の星が瞬くだろう。地上では、その星の数にも負けないほどの多くの人々が、絶えることなく、それぞれの物語を語り続ける。
私たちは決して死んだりはしない。
君は、明日に向かって歩いていく。

 私は、北村薫の作品が大好きだったりします。それが昂じて、こんな文章を書いてしまいました。反省はしていますが、後悔はしていません。タイトル、書き出し、全体の雰囲気は『ターン』(北村薫)よりパクらさせていただきました。写真を撮る時のくだりは『富岳百景』(太宰治)を意識し、主人公が電車の中で読んだ本は『詩歌の待ち合わせ1』(北村薫)であります。本文中にある『悲しみ』の詩は、『現代詩手帖特集版 石垣りん』に収録されています。ありがとうございました。

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