やらないで後悔しようをしてみようということ

わたしはいつもやるやらないで生きててやらないことにすごく罪悪がある人間です。

今日おんちゃんと会う予定だったけど地下鉄のるのもそっからバスもしんどくて
会いたくないわけじゃないんだけどもう回避性はたらきまくりでなにもしてないのに考えて疲れてその疲れかたがおんちゃんに会うより上回ってるから

おんちゃんに今日そっちまで行く元気ない、また近くきたら教えて。あいてて近くて元気ある時いく。

と今さっき返したところ。

私は毎回やってからしか本気で疲れれなくて、
疲れることを避けることができない
みんなはつまらないことはそもそもしないし
めんどくさいとおもう。たぶん

ただわたしはものごとには可能性や成長があって自他ともに

それを逃すことを選ぶことが重篤な気してとりあえず選ぶ

↑これが慎重さのないところ

ただ勢いのよさもあるし
勢いでまわりをまきこめたり瞬発力でしかやれないタイミングもあるけど
結局瞬発力咄嗟力ばかり問われて考えると催促される仕事経験が多かったのもきっとあるけど

本当にゆっくりとかしっかり
正確に確実に着々と細く長く

みたいなのができなくて

まず行動を正解として
あとから理由をつける
そういうやりかたでいる

だから今日はなんかしんどいし今なんか疲れてるし
行きたいけどだるい
みたいな感覚の時は行かなきゃとか行った先でのなにかが失われたらと思うとつらいし
おんちゃんにもわるいけど

でも自分ファーストってやったことめったにないし深くはないから
結局体調やだるさをやすめるのが優先てことならしないをしてみる
やらないを選択する。をしてみる

これは結局やってもやらなくてももどかしいんだけど
エネルギーがありあまってしょうがない状態にわたしがいないし
たまったら即使う消費癖が
自分の燃料に関してはひどすぎて
燃料は借金もできないから

だから今日はそもそもないから作らないし
作ったらいつかたおれる、死ぬという認識


したくないとか負担と感じてないとこに問題があって
私のよくわからない使命感

綴るにしても切るにしても考えるにしても
やるしかなくてしかたないときと
あえてそちらに傾かすときあって

しかたないときとなんとかできるときがごちゃまぜになっているから
周りも分からなくなるかもしれない

本当に心からあたおかな時と選択してあたおかなほう選んで自爆してるから

選んで変なことしてないと
自分もなにが違和感がわからなくなる


本当は主治医にドクターストップかけてほしい

でもいまあえないから

今の先生は心配はするけど断絶してくれない
この時点で本来とめてほしい気持ちがあるのだけど

たまに本当に止められる気もなく突っ走ってなんで心配されるかわからなくて結果やはり本当にやばくなってから
心配ってこれか。みたくなる


それが今日かもなって。

よくしないで後悔よりやってみたい、というニュアンスは本当にそうだと思う。
ただ、しなくていい、やらなくていい、それでべつに後悔しても、たいしたことのない後悔それよか
守られる内面や心のが後悔より上回る修復かもしれない

毎日身を削って後悔しない選択してると
小さな後悔はしないけど全体的に無自覚で無理をしてるかもしんない


だから私はただゆっくりする
じっとする
ダラダラする

それこそ天井のシミを覚えるくらい穴あくくらい壁見続ける

そういった
ありえないほどの強制的な

のほほん

をやらないと
人よりダメなんだと感じた


ダメと言われてもやるし
しなくていいと言われてもする

なぜ?といわれても
制御不能としかいいようのない
やりかたいきかた

心の底から嗚呼変だなあと感じて生きたいけど毎日存在しながらなにかする前もしてからも変かもおかしいかも
と毎日生きてるだけで気疲れ

実家でもそうだし
実家だからそうなのかな

みんな変なのに私だけ変にこだわっているかも

矛盾感じる色んなことに止まらないよ

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