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リンゴ

明日の調理実習のために、リンゴの皮を剥く練習をする。
自分の手が傷つくのを怖がりながら、
怖いもの知らずのフリをして果物ナイフでひたすら剥く。
怖くない怖くない。あたかも自分がまだナイフの存在も知らぬ子供であるかのように、気味が悪いほど優しく語りかける。
「失敗してはダメだ」と。

ちっぽけな地球をなぞるかのごとく刃を滑らせる。深く入れてはならない。滑らせなくては。米粒の中に神様が7人いる話があるように、そこにはきっと侵しては罪ななにかが居るのだ。常温放置したバターよりも滑らかであるぐらいに。少しでも薄く剥けるように、何度も何度も目を凝らす。
リンゴの皮をナイフと自分の親指が、しっかり挟んでいることを何度も確認する、している。

4回くらい休まず剥いて、手が痛くなったけれどその痛みが嬉しかった。この痛みは切り傷では無い。私は怪我をしなかった。その上まあまあ綺麗に剥けたのだ。成功だ。私はリンゴの中にいる数多の生命に対する被害を、最小限に済ませることが出来た英雄なのだ。

はぁ、そうですか。

私はこうして、始めたてで6分前後かかったりんごの皮むきの記憶に、その2倍程度の時間をかけて、回りくどく壮大に味をつけるのです。

全ては普遍的な私の記録が、主人公のいる話であるために。
多分きっと明日もそんなことを書いている。
しかし主人公はまるで誰だかわからない。
私であるときもあるし、この世のどこかにいる誰か、もしくはどこにもいない誰かにもなりうる。
私であって私でない記録がまた生まれていくのだろうか、きっとそうだろう、きっと明日も。

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