五百羅漢 喜多院/川越
五百羅漢とは、辞書によると500人の聖者とのことのようです。
お釈迦様が悟りの境地に達した後(それはお亡くなりなった後を示すこともあるそうですが)、仏の弟子たちが集まり仏説を集成し編集することが4回行われたと言われているそうです。その1回目と4回目には500人の弟子達がお集まりになってそうで、それに由来して五百羅漢が作られるようになったそうです。
ところで、僕は常識がないと言われると思いますが、LGBTが騒がれる理由が理解できません。
人は他人とやり取りを上では仕方ないと思います。つまり、分類して評価するのが一般的であり、便利でありますが、結局、人は個人としての存在を認められたいのが常であると思いますので、交流する際に、その相手を一人の人間として見れば良いだけであるので、LGBTと分類して評価する意味が僕にはよく分からないのです。
一方、分類してくれるからこそ、その恩恵に預かることができることも多く、また、制度的に何かを決めるときには、一人ひとりを見ていたら日が暮れてしまうので、分類せざるを得ないのは理解できます。社会では、個性というものはある程度、隠してしまう部分があるように思います。
そんな中、このような石像が魅力的に感じるのは、その一体一体に、ある人の息吹を感じることができるからだと思います。個を発揮しようとしながらも、周りと関わりながら生きていく。そんな姿に親しみを感じるのだと思います。
一方、多くの人は何も自分の軌跡を残さずに去っていくわけでしょうから、その場に現れている個性は、多様性のない、あるグループが表現されているだけかもしれないとも思いました。
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