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#100 祝100回目

いつもありがとうございます、ロウレイです。


早いもので100回目の投稿になりました。「毎週金曜日に投稿」という決まりを自分に設け粛々と投稿し続けてきましたが、折れずにここまでやってこれたのは一度でも記事を読んでいただいたことのある全ての人のお陰だと思っております。

正直、好評価を意識したり、閲覧回数を意識して書いてはいないのですが、スキを頂けたり、全体ビューの回数が励みになっているのは事実です。

わたしは紹介文に書いた通りWbasicという概念で、身近な個人の問題をその個人自身で解決できるように意識改革を促すためのアプローチの仕方を提案できればと思って活動しています。

そのため、哲学をベースに、脳科学・心理学・経済学など多岐にわたる学問を通して一つの概念(Wbasic)にアプローチしています。

わたしが未熟なことにより上手く伝えたいことが伝わらず、ぼやっとした表現になることも多々ありますが、少しづつですが伝える精度はあがっていると感じています。

また、最近読んだ本の中に「七つの習慣」スティーブン・R・コヴィー著があるのですが、この本がわたしの考えにかなり近く驚きました。

高校時代、友人に人間関係の信用は貯金通帳みたいなもので、信用というものを相手の信用口座に残高を積み上げていく作業に近く、その残高によって危機的状況でも相手は自分を信用してくれるのだよと話したことがあるのですが、まったく同じ内容のをスティーブンはこの本で書いていました。

それもあり、この本を読んでわたしの考え方は正しい方向に向いていると確信しました。

まだ少し時間がかかると思いますが、毎週金曜日に1話づつ更新し、最終的に「Wbasic」という本をnoteで出そうと考えています。

その本を読めば、視界が拓け、自分自身の力で良好な判断ができる手助けになると確信しています。

まだ全く書けていませんがさわりの文章をできればお読み下さい。


Wbasic 複眼的思考のすすめ


自分を見つめ深く考えると『わたしとは何か』に行きつく。

わたしたちは5歳頃になると心の理論を獲得しこのように自己とは何かを考えることができるようになる。

心の理論とは、他者の心を類推し理解する能力のことである。一般的には人間のみが心の理論を獲得することができ、そのおかげでわたしたちは世界に70億人も人口拡大したといわれている。

そのため、動物が自殺することはない。自分とは何かを考えることができなくては自己嫌悪に陥ることができないため、自分で自分が嫌いになるようなことはまず起こりえないためである。

わたしの中にわたしがいる。俯瞰で自分を覗く時、人の行動は主観的でありながら間接的な行動になる。そのため、過去の哲学者は壁面に映る影がわたしであり、本体はここにあると考えた。

脳科学でいわれるワーキングメモリといわれるものが、わたしたちが同時にいくつものタスクをこなすことができる理由だと考えられるが、それならばワーキングメモリの数だけ自我が存在するのかといわれればそうではないだろう。

科学的に自我とは単なるシュミレーションのためのシステムの一部でしかなくおまけ程度なものだ。

だがわたしたちは自分の身体を支配し意思決定の全権を握っていると考えている。

しかし、実のところはそれは曖昧で懐疑的だといえる。反射をみればわかるが、自分の意志で耐えられないほどの熱湯の中に手を入れ、それを耐えようとしても、肉体からの指令で反射的に手を引っ込めてしまうだろう。

肉体は数え切れないほどの細胞の集合体である。


以上 さわりの文章でした。


昨年のデータ


noteの運営さんは、昨年2021年の記録をまとめてくれました。

わたしなりに、これが良いのか悪いのかわからないので何とも言えませんが活動の記録を頂けるのはありがたいです。

もしよければご覧になってください。



以上、年始の抱負と昨年の報告でした。

それでは、皆さまにとって、今年が良い一年になることを、心よりお祈りしています。

おわり


最後まで読んでいただきありがとうございます。

obkさん画像を使用させていただきました。

毎週金曜日に1話ずつ記事を書き続けていきますのでよろしくお願いします。
no.100 2022.1.7


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