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自由を放棄してはいけない(#2)

もし、この記事を読んでいる誰かが苦しんでいるパートナーがいる場合、一つの方法として知ってほしいのは、

そばにいて下さい。」

当時の彼女が「どんな時でもそばにいてくれることが何よりもの安心感があって落ち着く」と言っていました。

この心理は重要です。子どもをみれば明らかですが、母親が視界に入っている状態であれば、冒険はできるが、母親が視界に入っていない状態だと冒険はできないように、こころの一定の安全を確保することがチャレンジにつながるからです。この概念は老若男女問わずある心理で不安定な心にはまず不動の安心が大切だと思われます。

またもう一つ重要なことで自由を放棄してはいけない理由は、負のエネルギーは負のエネルギーを引き込む力があるということです。貴方がもし、ネガティブになり世の中の不満を消化できずにいると、その不満を共感できる誰かを引き寄せます。これは、なぜかは明確にお答えできませんが、どうやらそういう仕組みで世の中は動いています。朱に交われば赤くなるというように、自分が誰かを染める、もしくは誰かに染められる、または似た色同士が結びつくようになっているのかもしれません。

つまり貴方が自由を選択しない限り、自由でない【何か】があなたの部屋をノックし入ってくるでしょう。そんなことを貴方は望んでいますか?少なくとも私は望まなかった。狭く暗い部屋に自ら入り、あたかもそこが自分の居場所だと思い込みそこで一生を終える。多くの人が「そこは良くない所だから出ておいで。」と言ったところで耳を傾けず生きてゆくことが素晴らしいのでしょうか?確かにそんな場所にずっといると思考が変化しそこに順応しようと身体を変化させそこに耐えうるようになるかもしれません。だからといってそこに居続けることが正しい理由にはならないのです。

私は常に述べていますが貴方という自我は身体というもう一人の声なき無我によって構成されています。そんなことは医学書にも心理学にも載っていません。でも、誰もがそれを聞いた時に【腑に落ちる】感覚があるのではないでしょうか。答えの絶対でることのないものならせめて理解しやすいように変換すべきと私の信念が囁くのです。

ではどうすればいいのか?

『まず、解釈を変える(物事の捉え方を変える)

私の不幸な過去を例に説明してみましょう。

私はもともと、種違いの兄がいて双子の二卵性双生児として生まれました。3歳のときに兄と双子の妹と暮らす母から養子に出され別の家で育てられることになりました。

これをネガティブに解釈すると

「母親は自分の生活を少しでも快適するために不用である2人目の男の子である私を捨てた。それだけの理由で双子の片割れである私を捨てるとは許せない。私は愛されていなく邪魔だったんだ。私はモノで貸し借りできるような存在であり人の条件を満たしていない、いうなれば不幸の種だ。」

となり、これをポジティブに捉えると

「母親は母子家庭で生活が苦しく断腸の思いで、私の育児を他の人に頼んだ。双子の片割れである私を選んだのは、苦しい母子家庭の環境下で妹が家庭の役割の一部を補助できることを考えれば当然だ。母子家庭で3人を育てることは非常に難しく生活が困窮し教育もろくに受けさせることができないことを踏まえれば私は別の家庭で育つことができ兄弟に比べて幸せな環境を手に入れることができて幸せだ。私は生まれながらにして強運を持っている。」

となります。また、

21歳の時に育ての親から、自分たちの子供ではないという事実を知らされました。残酷なのは産みの母親が死別した後でその事実を知らされたことです。産みの父親も認知はしていたみたいですが一度も拝見したことはなく、21歳にして天涯孤独を体験しました。今思えば育ての父親とは考えが合わず半年以上も口を聞かず「まだいたのか」と嫌味を言われながら学生時代を過ごしたのは、遺伝的に違いがあり、人として組み合わせが良くなかったのでしょう。

ネガティブに捉えると

「21歳までそのこと知らせないとは育ての親として失格だ。本来ならば、物心がついて理解できる年になったら産みの親の存在を知らせ交流できるようにすることが筋だろう。育ての親は私が嫌いでモラハラやパワハラを行い嫌がらせをしていたんだ。そうに決まっている。私は育ての親を認めないし、産みの親も許せない。」

ポジティブに捉えると

「21歳にそのことを伝えたには、まずは立派に成人させて自分で生きられる力をつけた上で真実を話す方が本人にも良いだろうという配慮によるもの。また、思春期に親子喧嘩があったのは、人さまから預かっている子を立派に育てなくてはという想いと、本当の子として私をみてくれていた証拠でありごくどの家庭でも起こる些細なことだ。」

どうでしょう、どちらも最もらしく聞こえませんか?

そうです、過去はただの結果でしかないのです。貴方が悪く解釈しようが良く解釈しようが変化するものではないのです。いわば固定された出来事でしかなく今の貴方に何の関係があるのでしょう。今の貴方は過去の積み重ねである事実は変わりません。しかし、その過去を不幸に解釈し未来を悲観するのは何の得があるのでしょうか。百害あって一利なしとはこのことです。

つまらない過去に縛られるほど貴方は暇ではないはずです。人生は苦しいより楽しい方が良いと思うことはありませんか。もし貴方がヘラクレスのように荊の道を進むというのなら止めません。なぜならそれは自分が好んで選んだ道だからです。自由意志によって選択された試練なら大賛成です。ボディビルダーに過酷なトレーニングをするなとは言わないように誰もそれは止めません。しかし、自由意志ではなく望まない選択をしているのなら自己意識を変え自己と手を取り自分の歩む道を探してみてはどうでしょうか?

『自由を放棄してはいけない』

少しは理解してくれたでしょうか。正直、使命感に駆られて私はこのような記事を書いているわけではありません。単純に生きにくい世の中で少しでも自分らしく生きる方が良くないかと思うだけです。自己のストレス発散で不満を口にするよりもそんな場所から離れ、不満を口にしなくても良い環境に移動すればその存在自体が消滅し視界から消える。見えないものは気にならないように、「なりたい自分になった方があなたの中の相棒が喜ぶのでは。」なんて思います。

良く考えて行動しようと言いますが、行動しながら考える方が効率的です。人生は0歳児からトライアンドエラーの繰り返しです。「自由は僕らの手の中」(カイジ)です。

ちなみに私と巡り合った人たち(異性の友人)は、私と似た私ではない誰かと結婚していきました。私ではないということがミソです(笑)。おそらく、世の中には色んな価値観があるということが肌感覚で得たのだと思います。袖振り合うも他生の縁といいます。貴方がもしこの記事に出会ったらそれは何かの縁なのだと思います。自分と向き合い軌道修正する時が来たのかもしれません。それではよい人生を。

                              おわり


最後まで読んでいただきありがとうございました。

s_a_s_s_aさん画像を使わせていただきありがとうございます。

つまらない点や納得のいかない点などがありましたらコメント欄に記入していただけると幸いです。私の記事は常に未完成です、皆さんのコメントなどで新たな発見ができ、より良くできると思っています。よろしくお願いします。

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