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率先して祝杯をあげる孤独の達人

自問自答ファッションに入門して約2年が経とうとしている。
そんな中でころころと3回もコンセプトが変わった。

最新のコンセプトは2023年2月に決めていたので、それを考えると「ドラマティックで自由を愛する孤独の達人」というコンセプトを軸に1年半くらい自問自答を進めていることになる。


先日、このコンセプトはもう卒業なのではないかと思った。
理由は目指す対象ではなく、既にそうなれているのではないかと思えたからだった。

達人を志して1年ちょっとで「もうなれたかもしれない」というのは結構おこがましい気もするが、自分の中で実感が湧いたのだから仕方ない。

コンセプトを更新するべく様々考えを巡らせたが、あきやさん講演会の第4回を聴講してやっぱり私のなりたいは「孤独の達人」だと確信した。

他を諦めてもなりたい、手放したくないもの。

それは、孤独を選択/非選択でき、どちらに身を置いても充実した時間を過ごせる環境である。
私の思う孤独の達人の概念は、上記を持ち合わせ人生を謳歌していることを指している。

毎日お腹いっぱいでなくても、体が不自由でも、お金が無くても、社会的地位が低かろうが、容姿が醜かろうが、孤独の達人であり続けて死ねるなら他に何もなくたって良い。

私のなりたいは「孤独の達人」以外にはないだろう。
これを避けてコンセプトになりそうな「なりたい」「似合う」「好き」を探したってこの世に存在するだろうか。

それなら再考するべきは他のキーワード「ドラマティックで」「自由を愛する」の部分である。

これらに引っ掛かっているのは私の思う「孤独の達人」の概念を突き詰めた時にどちらも内包しているからである。
重複した意味合いのキーワードを並べたところで、ファッションの選択をする軸として広がりはない。ただの添え木みたいなものだ。

それなら私はどんな「孤独の達人」になりたいのだろうか。

孤独の達人でありつつ、他にやりたいことを突き詰めてみる。
思い至ったのは、私が本当にやりたくて一人でも二人でも、それ以上でもやりたくて行動しているのは広義の「」だ。

大学以降、仲良しグループの飲み会やお出かけ、仲良くなりたい人との予定を立てて必要なら予約を取り、スケジューリングすることが多かった。

単にイベント発生に応じて、やらなければならないことをギリギリまで放置して困った状況を迎えることが我慢ならなかったからだが、幹事をすることが自然と増えた。

社会人以降、マッチングアプリで婚活したことでその傾向が更に強まり、気心の知れる前の人と計画を立てる経験を着実に積んでいった。

その後、自問自答ファッションの世界に足を踏み入れたことで、ありがたいことにたくさんの方とお会いしていただけることになった。
中には一人で行けないお店に一緒に行ってくれる相手を募って珍しい料理を食べにいくことも計画した。

こうしてオフ会と既存の友人などとの会合で、楽しみの予定をどこに入れられるかスケジュールアプリと睨めっこする日々が始まった。

誰と会っても食事やお茶などを共にする機会はほぼ発生する。
その時間がとても楽しい。
(お酒がないことも多いが)これを宴と言わず何だと言うのかと思うようになった。

それが分かっているから、お店探しや候補選びも楽しい。
素敵なお店だと分かったら一人でも行きたいし、一人で気になって行ったお店に連れて行くことも楽しい。

店でなくても、あそこのケーキやお菓子を食べてもらいたい、家に招きたいなど、そういう些細な「宴」を積み重ねていく人生は幸せだろう。

とはいえ、実際には宴というほどの機会ではない。
精々、乾杯をし合う程度のものだ。

また毎回乾杯する訳でもないが、アラサー真っ只中の私は知っている。

同世代の友人に結婚、出産、転勤など皆様々な状況の変化の中で日々生きている。
更にオフ会の機会のある自問自答ガールズはそれに加えて年齢層も幅広く、もっといろんな事情を抱えている人もいるだろう。

そんな中でみんな都合をつけて会ってくれている。
私が知らないだけで、家族内や会社内などで頭を下げたり交渉するようなことがあったかもしれないし、体調が整うように調整していたりするかもしれない。
いずれにしても私に会ってくれているのは当然のことではない。

そんな彼女たちと実際に会えたことを祝いたい。
もちろん昇進した、パートナーができた、欲しいものが買えた、祝い事を喜びみんなで共有するのも良い。
紅茶やコーヒーでだって、杯を合わせなくたって、祝杯を上げていきたい。
なんでもない日バンザイ🙌

そんなことを考えていると服装も段々定まってきた。

狭いお店な場合もあるから荷物は少ないほうが良い。
相手が身動きの取りにくいおしゃれをしていることもあるから、私が代わりに動けるように身軽なほうが良い。
行動範囲や選択肢に上がるお店を考えるに、服装のフォーマルさはスマートカジュアルが遵守できれば十分。
屋外を長々と歩く機会は少ないから長傘は要らないだろう。
出来るだけ歩けるに越したことはない。

出来るだけ多く過ごしたい時間があるなら、それに適したファッションをする。

これこそがコンセプトなのではないだろうか?
それこそがファッションコンセプトから得られる恩恵ではなかったか?

という訳で、私はコンセプトを更新した。

率先して祝杯をあげる孤独の達人

私は今のところ独身で身軽な立場に身を置き続けたいと思っているし、幸いなことに時間や金銭を制限されるような状況にない。

だからこそ、自由な私が柔軟に率先して会いたい人たちと祝杯を上げる機会を作りたいし、(相手が嫌がってる場合は別だが)状況が許さず応じられないようなら何回でも誘うようにしたい。
あくまで可能な限りの話で、タイミングが合ったら、である。

もちろん孤独の達人なので、その裏で一人を楽しむ時間も確保し、自分を犠牲にしたりはしない

直近で購入したファッションアイテムはこの考えを元に出来ているので、今後のスタイリングや購入もこれを方針に据えて検討していこうと思う。