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孤独の達人になれたかもしれない

私の自問自答ファッション的コンセプトは
ドラマティックで自由を愛する孤独の達人だ。

ムーミンに登場するキャラクター「スナフキン」を孤独の達人と評するところから着想を得て設定したコンセプトだが、我ながらど真ん中を射ている人物像だと思う。

ただ、私はスナフキンのことを上澄みしか知らないし、スナフキンのようになりたい訳ではない。

つまり、私の言う「孤独の達人」は私のオリジナルでしかない。

どんな服を着て、どんな生活をし、どんな人生を送るのかは私の中にしか答えがないイマジナリー職業な訳である。

コンセプトに据えた当初は、ソリチュードの方の孤独を謳歌する人物をイメージしていた。

ただ、前部分に「ドラマティック」「自由を愛する」というキーワードを据える以上、ただ1人の時間を謳歌するだけの人物になりたい訳ではないことは明白だ。

そこで深掘りをコツコツしてきたのだが、購入してから3ヶ月待ちに待ったネックレスを受け取った日に、孤独の達人が過ごす日々を【体験】として得ることが出来た気がするので、ここに書き記しておこうと思う。

私の手に入れたい孤独

その前に、そもそも私が得たい孤独を定義しておかなくてはならない。

人によっては孤独を「孤立」と捉えることを知っている。
私の中で孤立と孤独はニアリーイコールではあるが、同一の状況ではない。

孤立」とは何らかの要因や背景によって、他者と距離を置く状態を示していると考えている。半径数メートル以内に人がいない状況だ。
そして、その状況を簡単には打破できず、否応なしにそうなってしまった状態という認識である。

これに対して「孤独」とは一人きりの状態を指している。
この一人きりとは物理的に一人ぼっちであるという状態も含まれるが、多人数に囲まれていても他者と精神的距離があるなら「孤独」な状態は成立する。

孤立と孤独を分ける一番分かりやすいラインは、自身の感情が言葉に含まれるか否かだと思っている。

孤独感という言葉があるように、孤独は主観、孤立は客観で見た時の状態を指す言葉として使い分けられているように私は捉えている。

孤独、孤立には、必ず他者と自分という登場人物がおり、他者の存在との距離感が重要になってくる。

私がなりたいのは「孤独」の達人である。
孤独との付き合い方に長けており、孤独な状態を用いて人生を謳歌している人物である。

孤独の中でもソリチュードの意味合いを望んでいる。

solitude

孤独、独りぼっち
他の人がいないことによる寂しさだけでなく、その自由さを歓迎する意味も表すことができる。

https://eow.alc.co.jp/search?q=solitude

決して孤立を望んでいるわけではない。

要するに、私は意図して他人といることもできるし、1人きりになれる人物になりたいのだ。

他人というのも誰でも良い訳ではない。
私が親しみを覚え、あるいは好意を持つ人達と時間を共にしたい。

これは孤独感に苛まれると出来ないことだと考えている。
誰でも良いから満たしてくれそうな、自分と接してくれる人に執着してしまう状況を招きかねない。

欠乏感から他人に執着をして良いことは一つもない。
不健全な関係性を育むことになった結果、自分の中に抱えきれずに暴発して反社会的な行動に出たり、あるいはずるずると時間だけが過ぎていき本当に自分が望むものを見失う、あるいはそれを掴むためのチャンスを逃しかねない。自己愛が肥大していき、執着した相手の時間も自由も奪うことも多いにある。

だから、孤独感すら味方につけて楽しみたいのである。
寂しさはドラマのスパイスとして、そしてその欠けた状態すらも満喫したい。

キーワードである「ドラマティック」「自由を愛する」は「孤独の達人」とは別の言葉であるものの、その実、私が望む「孤独」の状態を補足するものだ。

ドラマティック」は主に他者との関わりで実現するものだ。

誰がどう見ても感動的、劇的、波乱万丈な関わりを必ずしも望んでいる訳ではないが、自分だけでは辿り着けなかった気付きや、1人ではできない体験は、私の人生を彩る要素になる。

それらは私の好きな人たちから受けたい刺激だし、共有したいものだ。

これを私は「ドラマティック」という言葉の中に内包させている。

自由を愛する」については、自分からも相手からも、「孤独」を阻害するような執着を捨てたいという意志の表れである。

私の望む孤独は自由でなければ手に入らないものだと思っている。

1人で好きに過ごすことも、好きな人たちに会いに行くことも、最低限自由でなければ心赴くタイミングで実現できない。

日銭を稼ぐことにあくせくしなければならなかったり、人間関係に縛られて好きな人達に会いに行くことが難しくなったり、そういう不自由が常態化してしまうと望む孤独は手に入らない。

しかし、いつ何時も自由でいるには社会的な生活を捨てるしかないし現実的ではない。真の自由は手に入ることはないと理解している。
そのため「自由を愛する」に留めた表現とした。

この考えの根幹には、過去の体験が大いに関係している。

孤独を制圧したかったのかもしれない

私の中には執着されたくない自分と、執着したくない自分がいる。
そして時々執着したい自分も存在している。

他人に執着されるということは、自分に何かを望まれるということだ。それに応えられないとき相手は勝手に失望、もしくは裏切られたような顔をしてくることがある。

他人に執着するということは、他人に何かを望むということだ。それに応えてもらえなかった時、身勝手な期待をした自分に失望するし、相手との関係もこれまで通りとはいかなくなる。

いずれも自分の都合で他人との関係を悪化させる心の動きに他ならない。

もし相手も自分も望んだものが与え合える関係だった時は、他の相手とは違う特別な関係になれる。
大体の執着は、漠然とこれを想像して段階をいくつもすっ飛ばして突っ走ってしまうことが多い気がする。

執着はそれが両者の間で「特別」にならなかった時、孤独感に変質する。

急に相手との距離を感じて、もしくは見せつけられて、もがいても縮まらないことにショックを受ける。
ショックを受けたいという人は違うかもしれないが、私はこのショックに昔はとにかく耐えられなかった。

周囲の汚い口調に憧れる風潮に乗って、実際に口にしたくなった親友に投げかけられた「嫌い」という言葉。

上手く周囲に馴染めずクラスから孤立している時期に、光明のように声をかけてくれたクラスメイトを、元から仲の良かった子から引き離すように二人組の約束を取り付け、先約という状況で無理矢理「一人きり」を打開したこと。

他の誰にも話せなかったことを共有する間柄にも関わらず、私が相手の望む対応ができずある日突然絶交した時。

二度と同じ轍は踏むまいと、過去の自分が感じた孤独感を超越することに執心する考えが、「孤独の達人」を目指すことの下地になっている。

そうなると、私が孤独の達人を目指すのはリベンジに他ならないのではないか?

当時、意図しない孤独を自分の力でどうにもできなかったのが実はまだ傷になっていて、それを「乗り越えたぞ!」「もう何でもないことだ」って傷が癒えたことにしたいのが発端のように思う。

よくある、コンプレックスを矮小化するために固執しているやつなのでは?

単なるコンプレックスの解消には先がない。
払拭できた先にあるものは、ようやく新しいことに目を向けられるようになったという、スタート地点しかない。

とすると、かつての孤独にリベンジできた先に目指したいものを、本当はコンセプト据えるべきである。

孤独の達人になれた気がする

スタート地点の遥か後ろにまだいることに気がついた私だが、まずはスタート地点に立つために望んだ孤独を手に入れたい。

そう思っていた矢先にネックレスが店頭に届いたという連絡が来た。

3ヶ月。
せっかちな私にとっては本当に長かった。

11月に初めてホアキンベラオを訪れ、
1月の中旬に購入に踏み切って、
4月某日に受け取りに行くことになった。

とにかくせっかちな性格なので、いつも購入後すぐに書くnoteも受領もしてない2月中旬には書いていたし、この間に会うJJGの殆どにネックレスがいつ届くのかの話をした覚えがある。

「あれはいつ届く予定なんですか?」と聞かれたこともしばしば。

長い付き合いの友人たちにも、「あのネックレス」と言えば通じるし、戯れ合うような交流もあって楽しかった。

あのネックレスを買ったと知る、私の好きな人たちには私の清水の舞台から飛び降りるような買い物は、共通認識にあった3ヶ月だった。

私が、私のためにした買い物を、好きな人たちに気にかけてもらえるなんて。

でも、受け取りに行った当日は1人で行った。

生まれて初めて振り切った買い物には、自分一人の時間が欲しいと思ったからだ。

前日の夜に現時点で最もお気に入りのエルメスの青いネイルを塗って、
朝から爆発していた髪を濡らして丁寧にセットして、
あのネックレスを迎えるために揃えた服を身に纏い、
何度もネックレスと合うことを確認した、指輪とバッグを持って家を出た。

雲が少なく広くて青い空は日差しが少し強くて、
去年の夏に購入してから使い倒しているサングラスをかけて向かった。

家を出る前も道中でも、全身が映るガラスや鏡で、欠けている自分の姿を確認した。

やっぱり私の首にはあのネックレスが必要だ。

来店予約していた時間ぴったりに着いた。すぐに用意していただいたあのネックレスを見て、思わず「わぁ」と声が出た。

在庫がなく受注生産していただいたので、スペインの工房で私のために作られて、海を渡り、ここにある。

待ちに待っていたこともあり、割増できらめいて見えた。

念のため最終試着をさせてもらいながら、ヒンヤリとして、ずっしりした重みを感じた。

やっぱりこのネックレスだと思った。

これが着けたかったし、これを着けていきたいと思った。


店を出て帰り道、予め予約購入をしておいた六本木ヒルズの展望台に寄った。

私は高いところが大好きだ。
高ければ高いほど良いし、窓ガラスにギリギリまで近づいて食い入るように見下ろすのが好きだ。

人生で一番好きなネックレスを、無事に迎える日なのだから好きなことばかりしたかった。

幸いなことに天気に恵まれ、遠くまで、下までよく見える。
某アイドルの展示スペースが盛況で、窓ガラス側は空いてたのでベンチに座ってぼーっと眺められた。

恐らく海を見るのと同じで、私の悩みや不安なんてちっぽけなもので、細々と小さな粒サイズに見える人間がそれぞれ大騒ぎしているのなんて、大したことではないんだと思えるから好きなのかもしれない。

最高だ。

せかせかと目の前のことばかりに集中してしまう私にはこういう時間が必要なのだ。

リラックスした状態でネックレスの入った紙袋を見ると、小さな人間の、小さな幸せが全身が巡って大ごとのように感じる。

矛盾した不思議な実感が湧いてマスクの中で口元が緩んだ。

その後は、長い付き合いの女友達と映画を見にいった。

私が人生で最も執着した(別の)女が、とんでもなくハマっておすすめしてきた漫画原作のアニメ映画が昨日から公開になった。

昨日早速見に行った彼女から行く前と後でピロンピロンとLINEを寄越していたので、その最中に取り付けた予定だ。

映画はとても良かったし、その後友人と食べたハンバーグは美味しくて、あっという間に平らげてもお腹に余裕があった我々はハラミステーキを100g追加して二人で分けたりした。

更にその後、たまたま通りがかったオーバカナルのタルトケーキが魅力的で、更にデザートまで美味しくいただいた。

元々お喋りだけで12時間以上過ぎることはザラな仲のであっという間に夜になった。
来週も会う予定だったので「また来週」と学生みたいだなと思って笑いながら別れた。

楽しくてたまらない。

こうして振り返ると私の人生の中で大事にしたもの、していきたいものがたまたま詰まった一日になっていた。

ここまでの時間が、私の想像する孤独の達人の人生の1ページでなくて一体何なんだろう。

もしかして今の私は、孤独の達人になれたのでは?

一人の充実した時間を過ごして、好きな人たちと適度な距離感で交流を持てて、友人にも恵まれて、絶対に欲しいと思ったものを自分の稼いだお金で購入することだってできた。

孤独の達人に………なれたのでは………?

達人は継続して初めて意味をなすコンセプトだ。
しかしそれもまた通過点に過ぎないことを今の私は知っている。

自分の目で、足で、意思で手に入れてきたもの、整えてきた土壌から、私は新たなスタートを切る段階に来た。

このまま孤独の達人であり続けるために尽力しながら、孤独の先に望むものを探す時期が訪れたのだと思う。

私は一体、何を一生やりたいんだろう。
私の自問自答はまだまだ始まったばかりらしい。

逆光で暗い紙袋🛍️
もう最高
待ってたよ

余談

で、だ。

コンセプトが変わる時は買い物しないほうが良いとあきやさんがどこかでおっしゃっていた記憶がある。

実は今年バングルを探しているから、ついでにホアキンべラオで店頭にあるものを一通り試させていただいた。
バングルはもう買うならこれだろうというものが決まったが、それとは別に思わぬ出会いがあった😇

そろそろ店を出ようかというときに、思いつきで夏木マリさんが某雑誌でホアキンべラオのアクセサリーを身につけていたページの話を出した。
私がまだかまだかとネックレスを待っているときに、全く同じものを身につけているページだ。

私は夏木マリさんに漠然とした憧れがある。
そこで同じスタイリングを体験してみたいという願望があったのだが、ホアキンべラオのオンラインサイトから対象のピアスのページが消えていることを知っていた。

ダメ元で在庫状況を確認したのだが……………………


あった。


あったのだ。

ただ、ピアスの作りしかないとのことで、そっと摘んで耳元に当てさせてもらうに止まった。

廃盤商品の国内最終在庫のため、当然今後イヤリングが世に出てくることはない。

私はピアスホールを開けていないが、強いこだわりがあるわけではない。
むしろ私に穴を開けさせるピアスに出会いたいまである。

そんなピアスに出会ってしまった。

バングルの購入を後回し、あるいは諦めてでも欲しい。というかバングル無くても夏の制服に不満がないかもしれん。

もっと言うならイヤカフも要らないかも。
ボリューム控えめのイヤリングしかしてなかったからイヤカフを欲していただけなんだって気づいてしまった。

とにかくマジで最高に似合ってしまった。
恐れ多くもあの夏木マリさんと同じアイテムなのに。

あーあ、困っちゃったなあ………😇
(ホアキンべラオ編、まだ続くかもしれない)