見出し画像

ドラマとデータ 「ファクトフルネス」を読んで

読んだ本
FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

感想
ファクトフルネスというタイトルや事前にレビューを読んだ印象からは、「データを捉える処方箋」という印象を持っていた。その部分はとても実践的で、読後すぐに効くデータに対する心構えを期待以上に与えてくれた。現状の正解に留まらずデータを見る際の心構えを示している点は、頭の中にある情報を常に更新し続けなければならないという著書の方向性に合っている。本に載っているデータはいずれ最新ではなくなってしまうから、これから将来に向けた「ファクトフルネス」は自分たちの力で培っていく必要が出てくる。それは究極的には筆者が語ったような態度をあらゆるデータ・課題に対して持つことだが、しかしどうして、どうも著書にある処方箋を機械的に実践するだけではそこに届かないようにも思える(それでも何もないよりはだいぶ効果があるだろう、というのは前提の上で)。ここで各所に現れる筆者の経験談が見逃せない。医療現場で自らが取った決断には救われた命と同時に失われた命もあったかもしれないと語る部分は、データを基にして世界を捉えるという筆者の主張をサポートしながらも非常に「ドラマチック」に読者に迫ってくる。この切実な体験を心にとどめながらも、データをつぶさに眺めていくという往復によって、筆者が共有したかったファクトフルネスに近づけるように思った。

ではこれから将来のファクトフルネスはどのように培っていけばよいだろう?インターネット上にはいろいろなデータが公共機関を中心に公開されており、今後もその範囲や量は拡大していくだろう。一方で各人が生きている中で心が揺さぶられる体験は身の周りから出発して、範囲はかなり限定されたものになるだろう。ここからデータと体験のどちらかが足りない状況下を埋めるとするなら、ふたつのアプローチが考えられる。自らの体験が届いている範囲のデータにアクセスしてみることと、まだ体験を持っていない範囲のデータに体験を与えていくことだ。前者はかなり実践的だ。身近で気にかかっていることにまつわるデータを調べることから始められる。今住んでいる地域の人たちの年齢構成はどうなっているだろう?所得の分布は?電力消費量はどれくらいだろうか?調べてみると、住んでいる行政機関のホームページには(意外と?)様々なデータが掲載されていることに気付く。一方の後者は体験の範囲を増やしていくということになるが、こちらはなかなか掴みどころがない。筆者のような世界の統計が身近に感じられるような人生はなかなかに得難いものだろう。それなら例えば、ニュース報道がその機能を果たしているということになるのだろうか?であればまさにニュースから生じる心の動きと本書のデータと向き合う処方箋の組み合わせが、ファクトフルネスに繋げられると考えることもできるかもしれない。あるいは誰かが描いた架空の物語がその機能になることもあるだろうか?この場合はこれまでにあった体験を拡張するものとしての物語と、現実にあるデータを対比させていくことになる。その具体的な形は?私にはこのあたりまでしか想像が及ばなかった(どんな可能性があるか、これを読んでくれた方の考えを聞いてみたいです)。

このドラマとデータの関係が本書を貫くテーマのひとつで、データに向き合う態度を筆者のドラマから例示している点などは構造がそのままテーマを物語っている。人を惹きつけるのはいつでもデータそのものではなく、そこから引き出される主張だ。しかし主張は視点ひとつで様々に変わり得る(たとえ同じデータを見ていたとしても)。しかしそれらの主張が変わったとしても、データ自体は変わらない。この対比が大切なようだ。それは著書の中で出てくる「同じ集団の中の違いと、違う集団のあいだの共通点を見つける」という部分にも強調される。データから主張を引き出す重要性と同じだけ、主張から外れたデータに目を向ける重要性もある。そのことを考えさせてくれたことがこの本を読んだことの一番の収穫だった。

#PS2021

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?