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趣味DTMの体験談:技術進展・制作・消費の微妙なライン

レンタルショップで割引をフルに使ってCDを借りていた高校生のころから十数年が経って、1ミリの気兼ねもなくCDを買えるくらいはお金を持ちたいという気持ちは月額980円で意図せず達成されていた。2021年はなんとなくダラっと仕事も余暇もこなした感じで、いま人生を終えると少し後悔しそうな内容だったが、日々世界中で勃興するサービスを享受する立場としては悪くなかった。多少のサブスクリプションサービスであれば加入するお金は持っているこの状況、当時の思いはそれなりにお金を持つこととは別の方向で解決してしまった。

数年前からパソコンでの楽曲制作(DTM)の世界に足を踏み入れている。学生時代に音楽に憧れた後にフェードアウトしてから多少働いて年数が経った今、趣味でまた始めてみた人も少しはいるのではないだろうか。十数年のうちに自分は歳をとりテクノロジーが発展し、こちらも参入障壁がグッと下がっているのを感じる。今年も関連するソフトをブラックフライデーの破壊的な値下げに乗じて買い漁り、積みゲーならぬ積みDTMソフトを蓄えたりしていた。

そんな中昨年購入したCeVIO AI「音楽的同位体 可不」は、触ったときにこれまでにない驚きがあった。これは初音ミクなどと同様の音声合成ソフトで、譜面の操作から歌声を自由に作成できるものだ。可不を手にとり最初に驚いたことは、下手をすると出力音声が肉声と聞き分けが難しいほど自然になってきていることだった。初期VOCALOIDの頃の機械チックで独特な音声の印象を持って適当に音階と発音を並べてみると、デフォルトの設定のままで肉声と一瞬聞き分けられないほどに自然な歌声が出力される。初音ミクの歌声を自然に聞かせるのは熟練された者の技だったが、誰でも肉声に近い歌声を簡単に出力できる時代が来てしまったのだ。

これまでと比べて異様に精度の高い合成技術は機械学習分野が進展した果実のひとつのようだ。それを組み込んだ異様に精度の高いDTM関連のソフトが近年続々と姿を現している。音声合成ソフト以外にも楽器の各パートの周波数帯域を整えるイコライザーや音圧を制御するコンプレッサーなど、楽曲を組み立てる様々な箇所で素人が四苦八苦して作る音の調整をデフォルトの設定で軽々凌駕していくのだ。どれも使用すると凄すぎてなにか虚しい、という感触が残るほどだった。これが生業にできるほどの実力もないので、これでいいじゃん、と。機械に仕事を奪われるというよく聞く話が思い浮かぶ。これは全く仕事ではないのだが。

それなら、その後に続く話は人間にだけできる仕事に集中しようということになる。この場合の人間にできることはなんなのだろう?独創性、人を感動させること…有り体なことはいくつかあるかもしれないが、個人的には新しい技術の普及の後にたまに生じるエポックが期待できるのではと妄想する。DTMではソフトを尖った使い方をすることで新しい表現を生む手法がある。歌声のピッチを補正するソフトを極端にかけてロボットのような声にしたり、特定の音と同期させコンプレッサーを極端にかけるダッキングなど、当時実装されていた機能が極端に使われることで、これまでに聞いたことのない効果を生み出した。新しい技術の可能性が想定外の形で使われたときにひとつの変曲点が生まれるとするなら、精度の異様に高いソフトたちにとって想定外の形の使い方とは何なのだろう。

そして可不についてもうひとつ興味深かったのは、歌声を提供しているのが実際に活動している「花譜」という歌手であるということだ。この精度の高い合成音声の元の声が活動中の歌手というのは不思議な感覚で、このプロジェクトの意図することのひとつではなかろうかと思う。ファンによる創作曲もYouTubeなどに多数投稿されているのだが、ニコニコ動画にあったボカロ楽曲からの流れを汲んだ曲調を感じることが度々あった。これはVOCALOIDからの経緯を繋げて考えると面白く、音声合成ソフトを使用しなくてもボカロ楽曲に通底するものを近年の楽曲制作者が抽出し、ふたたび高度に自然な音声合成ソフトで歌声を吹き込んでいるというように捉えられる。歌声は工夫しなくても高度に肉声に近いので、初期の初音ミクの質感に合った楽曲といった制作上の制限が本来は取り払われているはずなのだ。音声合成ソフトが中心にあるという項目を消し去っても、ボカロ曲感を楽曲から感じることができることを表しているように思われた。

昨年の可不のリリースに合わせて、オリジナル楽曲のコンテストが開催された。オンライン上で参加できるコンテストはコミュニティの創作が集う場所のひとつになっていて、これに私も参加してみようと意気込んだ。可不ひいてはCeVIO AIに最初に触れた驚き、さらには高度に洗練された近年のDTMソフトに対する感動をちゃんと出力につなげる方法はなんだろう。いろいろ思いを巡らせる中で、可能な限りできる調整をデフォルト・自動で全部行うことだということにたどり着いた。そのうえで曲調は先立つボカロ曲群からできるだけ離れたものを心掛けてみよう。そうするとなにか新しいところにたどり着けるのではないか!…というのは3割くらいの本音で、残りの7割はもはやデフォルト設定を超えるクオリティを出すことが今の自分にはむずかしいことや、次々買ってしまう新しいソフトを使いこなすに至っていないこと、曲調も思うようにコントロールなど出来ない・なるようにしかならないといった大変後ろ向きなものから方針を決めていった。期日はやってきて、最終的にできたのは以下のようなものだった。

コンテストの結果としては箸にも棒にもかからず、瑞々しい曲たちが場を席巻していた。もう年齢も過ぎて感覚も古いと言われたような感じがしばらく自分を覆ってなんとも切ない気持ちが残ったが、DTMソフトは購入した人が同じく自由に使うことができるのが良い点だ。このなんともな気持ちも先に書いた方針でデフォルトのままの設定のソフトをできるだけ使ってみることで制作してみた。

次々に出てくる高度なソフトを購入し、デフォルトに近い設定のまま組み合わせて楽しむのは制作というよりも消費のほうに感覚が寄っているような気がする。新しい表現や手法はこれらのツールを極端に使った先にあって、制作として新しい地平を開拓するにはまだ試行錯誤の時間が必要な段階ではないかと思っている。ツールの技術革新から新しい表現手法が誕生する、過去に幾度もあったであろう過渡期にあるような感じがここにもある。表現として新しいと感じられる突飛な使い方がどこにあるのか、趣味でやっている自分にも等しく問われている。自分で見つけることができれば制作者として大きな喜びがあるのかもしれないと思いつつ、その道のりはとてつもなく険しいことも知っているので、消費者として誰かがたどり着いた表現の更新を楽しみたい気持ちも共存している。

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