【メモ】8月32日からはじめる自由研究

仮タイトル
8月32日からはじめる自由研究

概要
なにかの研究を始めることは一部の人の、敷居の高いことかもしれない。しかし本当は、全ての人が研究することを許されているはずだ。情報技術の進展により、近年最新の技術や研究にアクセスできる環境が加速度的に進展している。一方で最先端の研究の場では先進性の競争を求められるが、今ここで趣味として取り組む時、私たちは競争から自由にもなれる。最後の夏休みを終えた人へ、自由研究をはじめることについて考える。

想定字数
5000字

メモ
自由研究と研究者の間

・最初に研究という言葉に触れたのは小学校の自由研究だったが、宿題を手短に済ませることだけを考えた取り組みの結果、自由からも研究からも遠いものになった。
・大学に入り研究室で学んだ時に、はじめて研究の面白さに触れることができた。
・面白さの中には自分が知らなかった結果に触れる興奮に加えて、同時に研究者として働く人々が見せる独特な価値観もあった。
・それでも博士課程進学には踏み切れず、就職した。研究者として生きていくことは過酷そうに想像してしまったからだ。
・当時はインターネット上で博士の100人いる村という寓話が流行っていた頃で、実際に研究者の働き口は相当な高倍率の競争を勝ち抜く必要があると周りの人の雰囲気からも感じていた。
・プロスポーツ選手を諦めるように、研究者のキャリアの狭い門に挑むことは一度諦めてしまったが、研究することの楽しさは他には代えがたいものがあることを知っている。
・それならば例えば草野球をするように、今この状態からなにか新たな研究に着手することはできないだろうか?
・この文章では研究者でなくても研究を始められる可能性に触れたい。それは宿題を課せられていない、より自由な研究になり得る。

野生の研究者、シチズンサイエンスとそれを後押しする情報技術

・研究者として大規模なリソースを活用せずとも、研究を行っている人は存在する。
・例えば2010年代の日本ではニコニコ学会βにて「やってみた」感覚で研究が発表されるなど、野生の研究者と呼ばれる人々の活動が可視化されるようになってきた。
・また世界に目を向けると、研究者に限らない人々の研究はシチズンサイエンスと呼ばれ分野にかかわらず広がりを見せている。
・近年のこれらの活動を支えるもののひとつとして、オープンソースの精神に基づいた情報技術の進展がある。
・例えばArxivをはじめとする研究成果を出版前にオンライン公開するシステムは、研究者間の情報交換を促すだけでなく、結果的に全ての人が最新の研究にアクセスできる環境をもたらしている。
・またプログラミングを伴う研究はコード自体が直接公開されることも増えており、よりダイレクトに最新の知見にアクセス可能になっている。
・研究で用いる商用のソフトウェアにおいてもサブスクリプション型・フリーミアム型のサービス形態の出現により個人の趣味・研究利用であれば無料で始められるものも増えている。
・以上のように研究に取り組む環境を整えるためのコストは劇的に下がってきている。しかしながら、家からひとりで最先端の研究に挑むことには圧倒的なハードルを感じる。
・これは、最先端の研究の場ではこれまで世の中で示されていなかったことを示すという競争を強いられていることに起因している。

新規性の競争から外れた研究

・現在まで研究は主に論文という形で公開・共有されている。
・論文の中ではこれまでの文献に対して行った研究を位置づけることで、先進性を積み重ねる。
・そこでは新規性がない研究は一般に車輪の再発明と見なされ、却下される。
・本来疑問に思ったことを調べることは自由なはずなのだが、車輪の再発明と思われる取り組みは競争の中ではインセンティブがない。
・動機だけに基づけば当然新規性の競争から外れることができるが、これは研究の場から見て無駄なだけだろうか?
・おそらく概ね無駄だが、可能性もある。そのひとつはデータ自体の蓄積だ。
・近年は学術雑誌の電子化が進んだが、これに伴う変化として電子データによる補足情報がある。
・紙面の制限が外れたことで論文の本旨をサポートする補足情報として動画や整理前のデータそのものなどが掲載されるケースが増えてきた。
・元々論旨をより精緻にするために補足情報が加えられているのだが、これは将来の研究に対して論旨を整理されたデータと共に読み解く以外のアプローチを生み出す可能性がある。
・研究で得られたデータをインターネット上に公開するシステム・サービスが台頭すれば、車輪の再発明と思われた研究も再現性の確認などに有用になり得る。
・固いことを書いてきたが、最も大事なことは他では得難い瞬間が趣味で研究をしようとするだけでも得られたということだ。

自由研究を「しようとするだけ」でも得られたこと

・何か仮説を立て、いざ研究に着手しよう。その前に膨大な文献に触れると自分の無力感に向き合う瞬間がある。
・過去数十年を切り取るだけでも無数の蓄積が研究の場にあると思わされる。
・よく巨人の肩の上に乗ると表現されるが、その時の自分は本当に小さく感じるということでもある。
・自然科学は性質上、誰が最初に研究成果を発見・提唱したとしても、後に生きる人はそれを等しく援用することができる。
・それは新しい発見を私がしても良いし、あなたがしても良いということだ。
・それは成し遂げたい、何者かにならなければいけないという気持ちを遠ざけてくれる数少ないもののひとつになっている。

#PS2021

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