先輩の話

かつて所属していた団体に、いじられキャラの先輩がいた。
その先輩は同期ばかりか、後輩にもいじられていて、先輩というよりは「面白い年上の人間」として見られていた。

無茶ぶりで芸をさせられても、恋人との関係を冷やかされても、不機嫌になるどころか、ヘラヘラ笑っておどけていた先輩を見て、「面白い人だな」と思っていた。

今振り返ると、先輩は「気を遣わせない達人」だったのではないかと思う。

団体で飲み会をしていたときのことだった。
いつものごとく、先輩はいじられていて、何故かは知らないが先輩がみんなの飲み物を注いでいく流れになった。各々のグラスを取り、「私が注がせていただきます」とかしこまった口調で飲み物を注いでいく先輩。注ぎ終わった後も「注いでほしい方はいらっしゃいますか?」と声をかけ、みんなに笑われていた。

その時は何も思わなかったのだが、先輩は自分たちに気を遣わせないように気を遣っていたのかもしれないと思うようになった。
飲み会で飲み物を注ぐというのは所謂「気の利いた行動」に分類されると思う。だから、飲み物を注いでもらうとありがたく感じはするものの、少しこちらが申し訳ないというか、恐縮した気分になる。しかし、先輩が飲み物を注いでいた時はそういう気持ちが湧いてこなかった。「いじられてやってるんだな」としか感じなかった。

そんな風に、今思えばあの行動は「いじられて仕方なくやっていた」というよりは「みんなに気を遣わせないようにやっていた」のではないかというようなエピソードが多々ある。

人に何かの働きかけをするとき、「してあげているんですよ」という感じが出ると恩着せがましく思われたり、相手に気を遣わせたりしてしまう可能性がある。だから、上記の先輩の気を遣わせないように相手に親切にする行為は親切の形として理想的だと思う。

先輩がそこまで考えていたどうかは分からない。考えていたかもしれないし、考えるまでもなくそういう行動をしていたのかもしれない。もっと言えば、全くそういう意図がなくて、単にいじられてヤケになっていた可能性もある。
ただ、もし自分が先輩の立場なら、プライドが邪魔をしてあんなことはできないと思う。自分の存在が軽んじられているような状況におかれて、自分は人に親切にできるほど出来た人間ではない。

自分が団体に入りたての頃、一番初めに知り合って話をしたのが先輩だったように思う。先輩の方が3つ年上で団体内の立場としてはかなりの差があるのだが、そんなことを感じさせないフランクさで自分のことをかわいがってくれた。
先輩は大勢でいる時はおどけた感じを見せていたが、少人数や1対1で話しているときはとても穏やかだった。

現在は、先輩も自分もその団体から抜けていて、連絡先も知らないため、もう会うことはないだろう。
先輩がやっていた、人に気を遣わせないように人と接するという行為。そんなことができる人になりたいと思った。
そして、あの先輩は今どこでどんな風にしているのか、少し気になった。

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