自傷行為を始めた日の出来事

こんにちは。餅沼です。


今回のnoteはタイトルにある通りです。

私が自傷行為を始めた日のこと、その前後の出来事を書き記したいと思います。

なぜ書き記すかと聞かれれば、自身のトラウマに整理を付けたいから、というのが主な理由です。

前回のnoteを書きながら思ったのですが、文字に残して書き起こすと思ったより大したことがなかった気がするんですよね。

なぜ当時の自分はこんなことで悩んでいたのだろう、どうしてこんな選択を選んだのだろう、という具合に、自分の過ちを知ることもできました。

さて、さっそく始めていきましょう。恐らく今回はたいして胸糞悪い話にならないはずです。よろしくお願いします。




結論

結論から書いてしまうと、人助けをしたからです。

当時はまだ自分の人生を諦めておらず、喜怒哀楽をしっかりと出し、正しく生きようとしていました。

誰かが死んでしまえば悲しいし、誰かが悪事を働けば憤る。

そういうわけですから、街中で困っている人を見かければ助けるのが当たり前です。

勿論、良い事をして世間に自分の存在を誇示したい、という気持ちも多分に含まれていましたが、それでも人助けを率先して行っていたのですから、今の自分よりは高尚な生き方でしょう。




理由

ということで中学一年生の春休み。私は大きな駅へと赴き、目当てのものを買おうと足早に駅中を歩いていました。

今も昔もアクションフィギュアやプラモが好きな私は、駅から出て0分の大型家電量販店を目指していたのです。

その道行の途中で私は、まだ小学生にも上がっていないような小さい男の子が今にも泣きそうな顔で歩いているのを見かけました。

駅はとても複雑で人が多く、子供は人混みに埋もれています。ひとりぼっちで今にも泣きそうな顔が痛々しくて、同時になぜだか自分を見ているような気がしました。それは単なる思い込みでしたが、それでもこの子を助けられるのは自分しかいないと強く思ってその子に話しかけました。今考えてみれば少し中二病が入っていたかもしれませんね。



「あの、君、迷子なの?大丈夫?」



そんな風に声を掛けたはずです。正直記憶は薄いですが。

さて、その子は顔を少し上げて、暗闇の中に光が差したような、そんな救われたような表情を見せてくれました。とても嬉しかったです。

しかしながらその子が今抱えている問題が解決されたわけではありません。お母さんとお父さんとはぐれた、と言うその子でしたが、人のごった返すこの駅で自力で家族を見つけるのは無理だと判断し、とりあえず駅員がいる場所にその子を連れて行こうと考えました。

駅員が確実にいそうなところといえば、多分、札の近く。当時の自分ではこれが精いっぱいの発想でした。恥ずかしい限りです。


というわけで、改札に向かいます。

即席で生まれた中学一年生と4,5歳の子供の二人ペアは、手をつなぎながらも特に話すことなく、目的地に向け駅の中を歩いていきます。

口は動かさずとも頭の中では様々な思考を巡らせ、自分はいいことをした、だからきっといいことが起きる、それはそれとしてこの子の親はどういう人なのか、この子の親も駅に子供を放置するような”そういう人”なのか、それならば俺が一言言ってやろうじゃないか、と。

加速する中二病と邪推で頭はいっぱいです。恥ずかしいですね。


そうして歩いている内に、駅員の周りに集まったソワソワした様子の三人を見つけました。

もしや?と思った私は、その子の背丈でも三人が見える位置に連れて、確認を取らせます。

ビンゴでした。改札に向かう途中で家族が見つかってよかったですね、ホント。



そういうわけで子供は小走りで家族の元へ向かっていき、父と母と思われる人物はそれはもう安堵が伝わる表情で子供を抱きしめていました。

その子の兄弟と思われる子も大泣きしており、家族仲はとても良好なように見えます。


自分の邪推が徒労に終わったことをちょっとだけガッカリしながら、それでも再会を喜ぶ4人を見て私も嬉しく、は、なりませんでした。別に。


4人家族の父と母はしきりに私に感謝を述べ、手をつないでいた子供は親に言われて感謝を述べ、その子の兄弟は泣きやもうと必死でした。

この子は愛されているんだな、二人の兄弟は仲がいいんだな。ああ、家族なんだな、そういうものなのか、そうなんだ。


本気で子供を心配する父親と、優しそうに見える母親と、仲のいい兄弟。


私はどうしてか、本当は比較してはいけないはずなのに、自分のことを考え始めていました。


自分を捨てた父親。顔を知らない元母に再婚相手の母、親の愛情を一身に受ける腹違いの弟。いないことにされている自分。

何もかもが許せなくなって、その家族が感謝を述べながら離れていく様を見ながら、絶対に考えてはいけないようなこともたくさん頭に浮かびました。


なぜ自分がこんな恵まれている子供を助けなきゃいけなかったのか。自分はこの場所に連れてきてもらったこともなくて、切符の買い方だって全部自分でやった。この子はそうじゃない。アクションフィギュアだってプラモデルだってきっとこの子は買ってもらえる。自分で買わなきゃならないこともない。そんなことはおかしい。許せない。



正直、それはただの逆恨みです。ですがそれでも、その逆恨みを止めることが出来ず、投げかけてくれた再三の「ありがとうございました」に何も返せないまま、また一人に戻りました。




次第に沸いてきたのはとてつもない罪悪感や後悔、そして情けなさです。

その子には何の罪もないのに、その家族には何の間違いもないのに、自分は最悪の不幸を願ってしまった。


衝動的に駅のホームに戻って、こんな自分ならもう殺してやろうかと考えました。

人身事故なら遺族にはかなりの負担がかかるから、だからあんな親にも値しない人間に罰を与えて死ねるならそれは本望だし、しかしそれでは親にやられ放題でおしまいで、じゃあ自分の人生は一体何なんだ。もう分からない。

頭を動かしながら、結局覚悟のなさとビビり性のおかげで死なずに済みました。生きていてよかったですね。


ですがそれで、抱えたうす黒い罪悪感が消えるわけではありません。

自分のエゴを丸出しで人の不幸を呪った罪、それを精算しないと自分は生きた心地がしなかったのです。

自分のような出来損ないが、ダメ人間が、人の不幸を呪って、しかも罰も受けずどうして生きていられようか。

どうしても自分が気に入らなくて、自分を罰してやりたくて、けれどもそんな勇気もなくて、それでもどうしても自分を痛めつけてやりたかった。




決意をした自分は家にあった剥き身のカッターの替え刃を取り、長い逡巡の時間をかけ自傷行為に励みました。



正直、初めての自傷行為は救われたような思いがあったのを覚えています。

死にたいという気持ちと、生きたいという気持ち。自傷行為は2つの気持ちに整理を付けてくれました。

まるで人生に光が差したような気分でした。

一度やってしまえば思ったより簡単だったし、実際は思ったよりも痛くない。死のうとしながらも死なないで済む。

自分にはこれしかない、と本気で思いこむようになりました。

今思えばこの時の救われたような気持ちがあったから中々やめられなかったんでしょうね。



というわけでこれが自分の自傷行為の体験談です。






まとめ


最初に話した私のトラウマというのは人助けのことです。

この出来事の後、私は困っている人を見て見ぬふりするようになりました。

多くの人を見て見ぬふりした懺悔をしたいのですが、それを懺悔する相手は当然いません。ですので、ここに書き記すに至ったわけです。




さて、今の自分はどうなんでしょう。


自分の手に負えないという判断の基準を広げて、手を出せば逆に迷惑になるという卑怯な早計を繰り返して、見て見ぬふりをし続けているかもしれません。やっぱりダメダメですね。

インターネットの付き合いであれば少しはマシになると思って最近は色々頑張っているつもりですが、まぁ、人助けというのはそんなノルマ形式でもありませんしね。





なので、これからは誰かを助けることのできる人間になりたい。そう思います。

そんな決意表明を記して、このnoteは締めさせていただきます。




P.S. 実は脇山珠美は両親に砂浜に置き去りにされたことがあるらしいです。一体なんでなんでしょうね?


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