オタク自称したくない ← 前言撤回、俺はオタクです

これの続きみたいなもんなんだけど、俺が内心うっぜぇ〜と思って同じ扱いされたくないと思ってた連中は、「オタク」やのうて「サブカル」という括りらしい。

たしかに同じ趣味領域を扱っていても、その趣味への評価態度や感情の発露の仕方が違う。

こちらの記事はかなり参考になった。

俺はあくまでその作品の内容やクオリティ、どこかどう好きか/嫌いかをメインに話をしたいんだが、俺がうぜぇと思ってる連中はその作品を受容する側の「センス」とか、「教養」とか、「知的水準」をメインに語りたがる。

連中は基本的に「これを好む奴はこんな奴」みたいな話をするか、たまに内容に触れたと思ったらどうとでも取れるような、あるいはどう取ったらいいか分かりづらいふんわりした言及しかしねぇなと思ってたけど、そう振る舞うのはその作品を扱う自分の「センス」の内実をブラックボックス化して、なんか奥深い個性だったり知性だったりがあるように見せる効用があるからなのか。
本でぎっしりの本棚とか、CDとかレコードのコレクションを定期的に見せびらかすのもその一環なのね。

たしかにオタクがフィギュアとかタペストリー飾るのとは全然違うわ。俺もグッズめったに買わんとはいえそれなりに飾ってるが、言っちゃ悪いけどこれ見せびらかしても「センス」あるようには見えんもん。『姫ヶ崎櫻子は今日も不憫可愛い』のえっちな水着イラストのタペストリーに個性も知性もない、「性欲ですね」で終わり。


連中の作品語りは毎回「結局何が言いたいの?」とか、「この作品の面白さはどこに?」ってなることが多くて、これは俺がオタクなりの文法を理解できてないからだと思っていたが、単に衒学趣味だったのだと思えば一応の納得はいく。

俺が婉曲表現を解する知能に乏しいのはある。でもさぁ、比喩塗れで具体的にどこを指してるかも分からん語り口で、真意がどんどん言葉の奥に引っ込んでいって、結局何が言いたいか分からんのよ、マジで。

あと基本的に主語がでかい。
いや主語がでかいのは別にええわ、その主語が指す対象が不明瞭すぎるって言った方がいいか。 明らかに一部のことを無理矢理でかい主語に置き換えてるのは分かりやすいから「主語がでかい」って突っ込まれるわけだけど (これはオタクに多いイメージ)、連中の場合はそもそもその主語が指す対象ってのはどんな様相を呈しているのよ、そもそもどこに存在するのよ、ってことが多い。

俺がBUMP OF CHICKENの記事でたびたび使用した「邦ロック」とかマジで最たるもので、俺はなるべく「ロキノン系=ROCKIN'ON JAPANで取り上げられがちなバンド」に絞って使ったつもりだけど、連中は指し示す範囲を明示しないから、もうどうとでも取れてしまう。

それは「Twitter」でもいいし、「日本」でもいいし、「シーン」とか「ムーブメント」とかなんでもいいんだけど。
そうそう1番引っかかるのは「本質」ってワードと、あと「中身」か。
その「本質」とか「中身」の内容を話してくれって。

どいつもこいつもエヴァの登場人物かってくらいぼやかして喋るのなんなんだ。

冬月「始まったな」←なにが?

ゲンドウ「ああ、全てはここからだ」←どこから?

カヲルくん「時が来たね」←なんの?

マジでこんなんばっか。

「〇〇だから、□□なんだ」って構成の時もあるけど、結局当てはめるのが上記の不明瞭なワードの数々だから、どういう理路でそう結論付けられてんのかマジで分からねぇ。


サブカルのなんか詳しい人
「これはいわゆる〇〇 (ジャンル) 系の系譜にあって、□□ (出来事) 以降の日本社会における△△ (それに該当するらしい作家) 的な態度が根底にあるんですね」


「????????????????????????????????????????????????????????????」

こういう言い回し音楽のレビューとかでめっちゃ多い。アニメも結構あるけど、音楽関係は圧倒的だと思う。


対してオタクの方はアニメならアニメの、漫画なら漫画の内容について、ずーっとくどくど語っているのが多くて、こっちのほうが俺はシンパシーを持てる。

まぁちょっとキャラクターとかストーリーの話ばっかしすぎだろと思うことはあるけど、その作品の構成要素にちゃんと関心があるのは好ましい。言語化を頑張ろうとしすぎて明後日の方向に妄想を組み立てちゃってることもあるが、あくまでも関心のベクトルは作品に向いてる。  

アニメに関していうなら俺はちゃんと映像をカット単位で吟味してその連結が上手くいってるかとか、画面内の素材や処理をちゃんと判別してその演出の是非を語ってるオタクがいると、それが肯定的だろうが否定的だろうが面白く感じる。

今やってる『響け!ユーフォニアム』の映像演出とか作劇の整合性をかなりネチネチ分析して文句言ってるオタクの方がいるんだが (迷惑かけたくないので個人名は伏せる)、その方の語り口はめちゃくちゃ明晰で、俺が共感できるか云々の前にちゃんとどこに言及しているかがはっきりしている。

そういう人は具体的な言及をめっちゃ心がけていて (ツッコミ入れられるのが嫌なんだと思う)、俺が分からなかったところや素通りした部分を明瞭にしてくれる。


オタク=作品への理解度がメイン

サブカル=作品を取り巻く周辺事情がメイン

で、これからは分けていこうと思う。

この分類ならオタクの社交性が壊滅的なのも頷ける。基本的に作品のことばっか考えてるせいで、周辺観察をいい加減にしすぎているからだ。作品の理解度がいかほどかを指標にしてるから、カジュアルに楽しむ層との食い違いに無頓着になる。

サブカルは作品を通じて周辺に自分をどうアピールするかが目下の命題だから、他者に対してもそれを好む様子が周囲にどう見られているかを基準に評価を下す。

ファッションに対する関心がオタクとサブカルで別れるのも頷ける。対外的な心象を重視しないオタクはずっとダサい格好だし (たまに背伸びして周回遅れのファッション知識で自爆する)、どう見られるかに敏感なサブカルは小洒落ている (なんとなく古着いっぱい持ってるイメージ)。

そりゃあオタクはサブカルに比べりゃダサいし屈折しているかもしれないが、俺はセンスをひけらかすために作品鑑賞をしてるわけじゃない。とにもかくにもあくまで「作品」がメインである鑑賞態度は崩したくない。
俺のセンスが良いか悪いかはそれこそ他人が評価すればいいんだから、対外的なブランディングに手間かけるなんて心底どうでもいいんだわ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?