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【原神】「六大学派」のモチーフと語源を辿る

原神もいよいよVer3.6になり、ついにスメールでのお祭りが開催されました。
今回はそのお祭りが教令院の学院祭だということにちなんで、教令院を構成する「六大学派」がどういうモチーフによって組み立てられているのかを見ていきましょう。

六大学派 Six Darshans

教令院を構成する6つの学派を総称して「六大学派」と言いますが、英語ではこれに"Six Darshans"という呼称を当てています。
この Darshans の単数形を -s を抜いた形の Darshan とすると、これはそのままヒンディー語の दर्शन darśan に対応します。その意味は「哲学」や「観察」です。
実際にはこの単語はヒンディー語ではなく、古インドアーリヤ語(サンスクリット語)という言語に起源を遡ることができるもので、インドの伝統的な哲学の体系を"ダルシャナdarśana と呼ぶことに由来します。

スメールの主要なモチーフとなっているインドには、西洋哲学とは全く異なる哲学の伝統が残っています。紀元前6世紀頃にはヴェーダ文献群の最後期の文献ジャンルであるウパニシャッド upaniṣad が誕生し、ウッダーラカ・アールニやヤージュニャヴァルキヤといった思想家たちの議論や、ヴィデーハ国王ジャナカとヤージュニャヴァルキヤとの対話などを通してインドにおける存在論や死生観などの価値観に大きな変化をもたらしました。

そこから時代が進むと、「ヴェーダの伝統」を保持する哲学の学派というものが出現します。その学派が合わせて6つ成立したことから、総称して「六派哲学」 ṣaḍ-darśana と呼ばれました。
「六大学派」 Six Darshans のモチーフはまさにこの「六派哲学」です。

とはいうものの、実際のインドの「六派哲学」の学派名はスメール教令院の学派名や学院名とは全く対応しません。下記にその学派名を並べてみます。

  • サーンキヤ学派 Sāṃkhya

  • ヨーガ学派 Yoga

  • ミーマーンサー学派 Mīmāṃsā

  • ヴェーダーンタ学派 Vedānta

  • ニヤーヤ学派 Nyāya

  • ヴァイシェーシカ学派 Vaiśeṣika

ゲーム内で出てくる学院名とは似ても似つかない名前ですね。こうして名前を並べてみただけで、「六大学派」のモチーフになっているのは「構成する学派が6つある」という部分だけだということが分かります。
思想的にも特にモチーフになっていそうなところはありません。

ゲーム内の設定と特に関連しないので、「六派哲学」の中身についてはここでは深く掘り下げません。詳しく知りたいと思った方は赤松明彦先生の『インド哲学10講』(2018年, 岩波新書 1709)をご参照ください。

各学院の名称について

各学院の名はイランのゾロアスター教の聖典アヴェスタ Avesta に出てくる善神(アムシャ・スプンタ Aməša Spənta)の名から取られています。

この記事では、学院名の元になったアヴェスタの神々の名についてそれぞれの語源を辿りながら、どのような意味であるのか、どうしてその名が各学派の学院名になったかを可能な限り明らかにしていきたいと思います。

アヴェスタに用いられている言語はアヴェスタ語 Avestan で、韻文(ガーサー)部分の古層のものは古アヴェスタ語 Old Avestan 、散文部分に出てくるものは新アヴェスタ語 Young Avestan と言われます。
恥ずかしながら私はアヴェスタ語については全く専門外なので、アヴェスタ語と近縁の言語である古インドアーリヤ語(ここでは特にアヴェスタ語と時代が近い"ヴェーダ期のサンスクリット語"=ヴェーダ語を指すこととします)と同一の語源に遡れるものについては、適宜そちらに置き換えて解説していきたいと思います。

※一応言っておきますが、このnoteでは元になっているアヴェスタの神々がそれぞれどういう神格だとかそういう話にはほとんど触れません。HoYoLABあたりで探せばその辺を簡単にまとめている記事はいくつか見当たると思います。そちらを参照してください。

※印欧祖語(Proto-Indo-European)の再建語形を示す場合がありますが、理論的な部分に関して基礎知識の説明はせず、再建語形だけを示します。見たことのない記号の付いた子音などがバシバシ出てくると思いますが、ご容赦ください。

生論派 アムリタ学院 Amurta 

アムリタ Amurta はおそらくアムルタート Amərətāt から来ています。
しかしどう見てもアムリタという読み方は古インドアーリヤ語の Amr̥ta "不死" から取っていて、英語表記も同様に見えます。
アヴェスタ語のアムルタートも意味は「不死」とされています。よって、形からも意味からも、この2つの単語はおそらく近い語源に遡る単語であろうことが推測できます。

どうやらアヴェスタの中ではアムルタート  Amərətatāt と、 -ta- という音節の含まれる語形も現れるようで、野田恵剛『原典完訳アヴェスタ』の解説では、"アムル(タ)タート"と記載されています。
この語形が実際にどのような用例で見られるのかについては調べが付きませんでしたが、語形からはインド・イラン祖語の段階で *a-mr̥-ta-tāt という語形であった可能性が推測できます。(* とは理論上再建される語形を示すマークで、この形は実際の文献に現れません)
古インドアーリヤ語にも、ヴェーダ語の時期においては -tāt という名詞語幹が存在しています(Macdonell "Vedic Grammar" p.88を参照)。これの意味は"~性"で、仮に *amr̥ta-tāt という語があったとしたら、意味は"不死性"となります。(あくまでも私が仮説として立てた単語です。実際の文献には出てきません)

インドにおいては「不死」は二種類あります。すなわちアムリタ amr̥ta とアマラナ amaraṇa です。
前者のアムリタ amr̥ta は動詞 √mar "死ぬ"(現在直説法 mriyate)の過去受動分詞 mr̥-ta に否定を表す a- という接頭辞が付いた形で、「かつて死んだことがない」という意味になります。言い換えるとこれは"現世における不死"を指します。
後者のアマラナ amaraṇa は同じく動詞 √mar から作っていますが、行為名詞 maraṇa に否定の a- を付けた形で、「(これから)死なないこと」を指します。ヴェーダの時代のインドの死生観では「再死」 punar-mr̥tyu という概念があり、地上世界で死んだ人間が、死後"再び"(punar-)死ぬことによって地上世界にまた生まれ変わる、という生命の循環思想(後の輪廻思想の萌芽とも言えます)が語られます。その中で amaraṇa とは「死後の世界で再び死なないこと」、すなわち"来世における不死"を意味します。
神々の持つ「不死」という性質は基本的に amr̥ta で表されます。上記の話を前提として考えると、アムルタートの「不死」も"神々にとっての不死"であり、"現世における不死"であると考えることができます。

ついでになりますが、古インドアーリヤ語の amr̥ta に直接的に対応するアヴェスタ語形はアムシャ aməša です。(アムシャ・スプンタのアムシャ)
私は両言語の音韻上の対応について詳しいことは分かりませんが、どうやら様々な単語での音韻の対応関係を見るに、インド・イラン祖語 *-rt-(もしくは-r̥t-) >アヴェスタ語 -š- となるようです。
つまりアムシャとは「不死なる者」で、しかも現世において不死である者、すなわち「神」を意味するというわけです。(これは古インドアーリヤ語で a-mara "不死者" が「神」を意味するのと同じです)

学院名の由来が「不死」であることと生論派の研究分野が生物学・植物学といった生命に関連するものであることは、明確な繋がりがありそうです。
それに加えて、アムルタートは"草木の保護者"である(野田訳を参照)という側面も、アムリタ学院の名前の由来として十分な根拠になると思われます。

素論派 スパンタマッド学院 Spantamad

ちなみに"マハマトラ"の由来はサンスクリット語"マハーマートラ" mahāmātra です

スパンタマッド Spantamad はやや変形した形で、元はスプンター・アールマティ Spəntā Ārmaiti という女神の名だと考えられます。中期ペルシャ語ではスパンダルマド Spandarmad となるらしいことから、直接の由来はこちらと考えるべきかもしれません。

スプンタ(ー) Spəntā̆ "恵み深い"の語源については手元に資料が足りず、あまり確かなことは調べられませんでした。(語義は野田訳を参照)
(英語版Wiktionaryの情報を信じるのであれば)おそらく印欧祖語の *ḱwen-tos という形に遡ることができ、また古インドアーリヤ語シュヴァーンタ śvānta と対応すると思われる(Mayrhofer『古インドアーリヤ語語源辞典』 Band 2, p.678)ことまではたどり着きましたが、それ以上のことは私の力では調べきれませんでした。おそらくこの語源を調べ上げることができたら、それだけで一本の論文になると思います。
古インドアーリヤ語の śvānta は「膨れ上がる、満ちる」という意味から転じて「豊かな」という意味になったようです。アヴェスタ語での「恵み深い」という意味と「豊かな」という古インドアーリヤ語での意味はある程度対応していると見ることができそうです。よって、一応ここでは Spəntā̆ = śvāntā̆ と考えます。
「スプンタ(ー)」と表記したように語幹の母音が長かったり短かったりする(-ā̆-)のは、この単語が形容詞だからです。女性名詞にかかる場合は長く(-ā- <  印欧祖語 *-eh₂-)、男性名詞・中性名詞にかかる場合は短く(-a- < 印欧祖語 *-e/o-)なります。

アールマティ Ārmaiti は古インドアーリヤ語 aramati "敬虔、献身"に対応します。語源的には *h₂eró-mn̥-ti- > ara-mati- と考えるようです( < 「思考」 *man- を「組み立てる」 h₂er- こと -ti- ?)。
ヴェーダにおいても神格化され、「献身の女神」の名として出てきますが、ひょっとするとこのヴェーダに見られる神格がスプンター・アールマティに対応するのかもしれません。用例を見る限りでは『リグ・ヴェーダ』のサンヒター(=ヴェーダ語の最古層の文献)で何度か言及されているようです。(今回は用例を省略します)

スパンタマッド学院の名称と実際のスプンター・アールマティとの間に関連性を見出すのは少々困難に思えます。
アヴェスタにおけるスプンター・アールマティが大地の女神とされることとスパンタマッド学院の研究分野が元素に関する現象であることの直接の関連は見えません。
ただ、素論派の学者は各地の地脈を視察するとゲーム内で言及されていることから、地脈=大地ということを含意してこの名が付いているという可能性は考えられるかもしれません。

明論派 ルタワヒスト学院 Rtawahist

ルタワヒスト Rtawahist はアシャ・ワヒシュタ Aša Vahišta が元になっていますが、名称の前分がアシャではなくルタ Rta となっており、原語からはだいぶ離れた名称になっているように見えます。
中期ペルシャ語ではアルドワヒシュト Ardvahišt となっていることから、このように音の訛った形から取ったと考えることもできますが、アムリタ学院の例を考えると、これは古インドアーリヤ語リタ r̥ta との対応関係が名称の根底にあると仮定するほうが自然でしょう。

アヴェスタ語アシャ aša と古インドアーリヤ語リタ r̥ta は同一の語源(インド・イラン祖語 *ar-ta- < 印欧祖語 *h₂r̥-tó- < *h₂er- "組み立てる、はめ込む")に遡る単語で、「宇宙の運行法則、天理、天則」を意味します。(アヴェスタ語のほうは単に「真理」もしくは「真実」と訳すことが多いようです)
原義は「(正しい位置に)ピッタリと嵌っている」状態を指し、そこから逸脱したものは「虚偽」 an-r̥ta (古インドアーリヤ語)となります。

シト(教令院の入り口に立っているNPC)の説明によれば、明論派は「天には真理が映り、運命を刻んでいるという観念を持って」いるとのことです。
ということは、ルタワヒスト学院において星空=運命を占うことへの探究は、「天理」に迫る行いだと言えます。
これで一応、学院名と明論派の研究領域との関連が見て取れることが分かりました。

なお、名称の後分であるワヒスト -wahist の元になっているワヒシュタ vahišta は「最上、最良の」を意味する語で、形容詞 vohu-/vasu- "良い"(アヴェスタ語/古インドアーリヤ語)の最上級です。これは古インドアーリヤ語ではヴァシシュタ vasiṣṭha となり、こちらもアシャ/リタのように同一の語源に遡る単語であることが語形から容易に分かります。(余談ですが、ヴァシシュタは『リグ・ヴェーダ』に出てくる伝説上の祭官と、その子孫とされるヴァシシュタ家の名としても知られています)
また、この形容詞ヴォフ vohu は後述するヴァフマナ学院の名前にも出てきます。

以上を踏まえると、ルタワヒストは「最上なる天理」を意味する名称であると言えます。明論派の星空に対する解釈を考えると、これは研究領域に即した命名であると考えられるのではないでしょうか。

知論派 ハルヴァタット学院 Haravatat

ハルヴァタット Haravatat はハルワタート Hauruuatāt からおおよそ元のままの形で名前が取られています。
hauruua は「全てのもの」(=古インドアーリヤ語 sarva)で、 -tāt は先ほどアムリタ学院の項目で少し説明したとおり、「~性」を意味します。よってハルワタートは「完全性」という意味になります。(cf. 古インドアーリヤ語 sarvatāti 「完全性、完成」)

野田訳ではハルワタートの語義は「健康」であり、ハルワタートは水の保護者であるとされています。
この語義についてはMayrhofer『古インドアーリヤ語語源辞典』の sárva- の項目に、対応する新アヴェスタ語 hauruua- の意味が以下の通りに記載されています。

Iir., jav. hauruua- unversehrt, heil, ganz, aav. jav. hauruuatāt f. Ganzheit, Vollkommenheit, Name eines der Aməša Spəṇtas

※筆者註
aav. : Altavestisch 古アヴェスタ語
jav. : Jungavestisch 新アヴェスタ語

Manfred Mayrhofer
"Etymologisches Wörterbuch des Altindoarischen" Band 2, p.711

ここに挙がっている unversehrt "無事" という意味から、 hauruua-tāt が"無事であること=健康"という意味になったと考えられます。ただ、この「健康」という意味はアヴェスタに特有のものであるらしく、イラン語派の中でも古ペルシャ語や中期ペルシャ語では hauruuatāt に対応する語形の意味は「完全性、完成」となり、またインドのヴェーダにおいても sarvatāti は「完全性」という意味になるのが基本です。

なぜ本来「全体、全部」を指す単語である hauruua が「無事」という意味を持つに至ったのかは私には調べが付きませんでしたが、とにかくそういう意味で伝統的に理解されていることは確かだと見なせそうです。
アヴェスタでは(抽象概念としての用例で)ハルワタートがよくアムルタートと並んで出てくることから、「(現世における)不死」に対応するものとして、「(現世における)完成」を"身体的な完成"、すなわち健康と見たのでしょうか。

ハルヴァタット学院とハルワタートの関係性については、アムリタ学院やルタワヒスト学院のような明確な繋がりは見えません。
現在では言語学を研究する学派となっている知論派が、かつては(ファルザン先輩が失踪する以前は)ギミックの研究などを対象としていたことを考えると、そういったギミックなどの構造の"全体性"や"完全性"を追究する学院だったということかもしれません。

妙論派 クシャレワー学院 Kshahrewar

クシャレワー Kshahrewar はフシャスラ・ワルヤ Χšaθra Vaⁱriia を変形したもののようです。クシャレワーという形が具体的にどの言語層に対応するかは分かりませんでしたが、中期ペルシャ語のシャフレワル Šahrevar と音韻的には近そうです。

フシャスラ Χšaθra は「統治・支配」を意味する語で、古インドアーリヤ語のクシャトラ kṣatra と語形・語義が完全に対応しています。クシャトラから派生したのがインドの階級制度における"クシャトリヤ" kṣatrya という階級の名で、文献によっては単に kṣatra と言ってクシャトリヤのことを指す場合もあります。

名称の後分であるワルヤ Vaⁱriia は古インドアーリヤ語 √varⁱ "選び取る" (現在直説法 vr̥ṇāti/vr̥ṇīte)の未来受動分詞 vārya "選び取られるべき" という語形に対応します。「選び取られるべき」ものなので、「望ましい」という意味になります。
よってフシャスラ・ワルヤは「望ましい統治・支配」を意味します。

フシャスラ・ワルヤは金属の守護者であるとされ、のちには金属そのものを指す語となったらしいですが、これとクシャレワー学院との関連を見出すのは、スパンタマッド学院やハルヴァタット学院と同様に困難であるように思われます。
仮に、クシャレワーという形がフシャスラ・ワルヤの原義である「望ましい統治・支配」ではなく「金属」という意味に基づくものであるとすると、金属そのものが学院名になっているのではなく、たとえばクシャトラといってクシャトリヤ階級のことを指すように、「金属で構成されたもの」を指す可能性はあるかもしれません。
そうした場合に、実際のスメールの建築物やギミックが金属で構成されているかは議論の余地がありますが(ゲーム内のグラフィックからはどう見ても金属製ではない気がします)、何らかの「構造物」全般を「金属製のもの」で代表して呼称している可能性も一応考えられると思います。
ただ、これはかなり"苦しい"解釈であると自覚しています。何か良い解釈があるという方がいたら、ご教示いただきたいです。

因論派 ヴァフマナ学院 Vahumana

お前は本当に何なんだよ

ヴァフマナ Vahumana はウォフ・マナフ Vohu Manah からほぼそのままの形で名付けられています。アヴェスタ語の形から直接的に命名された学院はハルヴァタットとヴァフマナくらいかもしれません。
ウォフ・マナフの意味は「善き思考」です。

ウォフ Vohu についてはルタワヒストのワヒスト -wahist の部分の説明で既に行いました。
付け加えて話すと、古インドアーリヤ語での対応語形ヴァス vasu には「良い」という形容詞での用例のほか、「良いもの」すなわち「財物、物品」の意味があります。
今回の学院祭イベントのシナリオではアアル村にヴァスデーヴァ Vasudeva というNPCが現れましたが、彼の名前のヴァスもこれに由来します。

マナフ Manah は古インドアーリヤ語マナス manas と完全に対応します。
インドにおけるマナスは重要な概念で、ヴェーダ以来幾度となく議論され、ダルシャナにおいても依然として議論の上で欠かせない概念の1つでした。
マナス manas は動詞語根 √man (現在直説法 manyate, manute)"考える"(目的語を取らない場合)、"~を…だと思う"(目的語を取る場合; 必ず二重対格の構文になる)から派生した名詞で、哲学の文脈では一般的に「思考器官」または「」と訳されます。
ちなみに、日本語の「意識」の由来は仏教の唯識思想の用語である「意識」 mano-vijñāna (マナス="意"による識別作用)です。

インドにおいては思考を行う器官は心臓(hr̥d-, hr̥d-aya-)ではなく、また別にあると考えられていました。それがマナス(意、思考)です。(ただし、心臓は感情とリンクしていると考えられていた部分も一部あり、"愛情"や"希うこと"を意味して「心臓(hr̥d-)に横たわるもの(śaya-)」hr̥cchaya- < *hr̥d-śaya- という表現をすることもあります)

ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー ahura mazdā は「賢明なるアフラ」を意味し、形容詞であるマズダー mazdā 「賢い」の中にマナフ manah が含まれています。
マズダー mazdā と対応する古インドアーリヤ語形はメーダー medhā で、原義は「思考(manas-)を置き定める(√dhā)」ことです。
語源を辿るとアヴェスタ語/古インドアーリヤ語 mazdā-/medhā- < インド・イラン祖語 *mas-dhaH- < 印欧祖語 *mn̥s-dʰeh₁- となり、印欧祖語 *mn̥s- の部分が manas- の弱い形(母音 -a/e/o- が1つ減った形)であることがわかります。

ヴァフマナ学院はウォフ・マナフからそのまま「善き思考」のニュアンスを引き継いで命名されていると考えてもよいでしょう。
「知識の出処と構成、さらにはその本質を探究しています」「本を暗記したり、デマを打ち消したりしています」というシトの説明を踏まえると、歴史学を通して歴史の真実を解き明かしたりすることによって「善き思考」を追究するのが因論派であると考えられます。

おわりに

今回は語源にフォーカスしてモチーフを明かすという試みに出てみました。
今回、裏のコンセプトとして「自分が本当に読みたいと思う原神の解説」を目指して書きました。そのためあまり読者には配慮してない内容になってしまったと思います。本当にすみません。
前回のnote以上に専門的な知識を前提としていて、言語学を専門としない方が読んでも何も分からないだろうということは承知の上です。
しかも本当は"軽い調べもの"のつもりで書いたというのに、結果として様々な情報を吟味するのに本気を出してしまって、執筆時間も文量も当初の想定を大幅に超えてしまいました。(アヴェスタについては本当に何も分からないので、当初はこんなに書くつもりはありませんでした)

このテーマは「六大学派」に関してゲーム内で初めて言及されたときから温めていたネタでしたが、ver3.6にて学院祭イベントが開催されるというきっかけがあり、こうして世に出すことに決めました。というのは半分マジ・半分ウソで、GW中に思いつきで書き始めたものです。

初めて「六大学派」について詳細に言及されたのはおそらく層岩巨淵のヘディーヴとの会話だったと思いますが、そのときは「名前からして明らかに六派哲学がモチーフなのに、どうして学院の名前はアヴェスタ語なんだろう」と疑問に思ったものです。(皆さんもそう思いませんでしたか?)
その後、HoYoLABやnoteなど各所で様々な"解説"を調べましたが、基本的にはゲームの情報をまとめたものか、あってもせいぜいアムシャ・スプンタ諸神の名前が挙がっているくらいのものしか見つからず、それぞれの学院の名前がどういう由来や意図で付けられたかは、結局こうして自分で調べるしかありませんでした。

名前に関しては、ただモチーフを当てはめただけという可能性は十分にあります。ですが、miHoYoという会社は"本気で"モチーフを引っ張ってくる会社だということを、スメールの地名について調べていく過程で私は感じました。
名前には意味があります。学院名の由来となっているアムシャ・スプンタ諸神のそれぞれの名前には、"無意味な"単語など一つもありません。原神においてもそれは同じで、地名や学院名など様々な名称にはしっかりとそれぞれの"意味"があり、その意味するところを紐解いていくと、そこには単なる造り物の世界ではない、「テイワット」という一つの大きな"息づいている"世界が広がっていることに誰もが気付くのだと私は思います。

さて、今回の記事を書いて改めて実感したことですが、私は"考察"が苦手です。ですから、これ以上の考察は記事を読んでくださっている皆さんにお任せしたいと思います。
どちらかといえば私の仕事は情報をかき集めて、それをまとめて"解説"することだと感じています。皆さんがより深く考察することのできる生の情報のソースを、一つでも多く提供することが私がnoteを書くモチベーションなのだと実感しました。
学院名の由来まではなんとなく調べが付きましたが、実際の学院名と元になっているアムシャ・スプンタ諸神の名前の意味との対応などは、一部の分かりやすいものを除いて全く見当が付かず、かなり苦しい見解を示すだけになってしまいました。
ですので、この記事を読んでくださった旅人の皆さんに、この記事を基により良い解釈を生み出していっていただきたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。次はこの記事を書くために一度塩漬けにしていたスメールの地名シリーズ vol.2 を出します。

参考文献

アヴェスタ語の文法書についてはHoffmann-Forsmannと呼ばれるものがありますが、今回手元になく参照できなかったため省略しました。翻訳書の『原典完訳アヴェスタ』の参考文献リストに記載されていますので、アヴェスタ語の文法(とくに音韻論、形態論)に興味のある方は参照してください。
(2023.5.15追記)一応参照することができたので追記しました。

概説書

Benjamin W. Fortson IV "Indo-European Language and Culture: An Introduction" 2nd Ed. 2010

翻訳書

野田恵剛訳『原典完訳アヴェスタ―ゾロアスター教の聖典』2020

文法書

K. Hoffmann, B. Forsmann "Avestische Laud- und Flexionslehre" 1996
後藤敏文 "Old Indo-Aryan Morphology and It's Indo-Iranian Background" 2013
A.A. Macdonell "Vedic Grammar" 1910 (Reprint 2007)

辞書

Monier Williams "Sanskrit-English Dictionary" 1899
Otto von Böhtlingk, Rudolph Roth "Sanskrit Wörterbuch, herausgegeben von der kaiserlichen Akademie der Wissenschaften" 1855
Manfred Mayrhofer "Etymologisches Wörterbuch des Altindoarischen" Band 1-2, 1996
 AVESTA -- Zoroastrian Archives "Dictionary of most common AVESTA words"
Christian Bartholomae "Altiranisches Wörterbuch" 1904


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