思考の遊びの行き着いた先

私は、昔から思考の遊び的に ある考えに対し自分でその反対意見を考え、またその反論を考えという事をしてきました

なんとなく面白い暇潰しだったのでやってただけなんですが

そのせいか、何か意見を言う時に、反対意見も同時に浮かんでしまって強く発言できないみたいな変なクセができてしまいました(>_<)

正しいと思う事での討論なんかは多分強いと思いますが、正解のない事のディベートとかだと何もしゃべれなくなる感じです(^-^;

どこのラーメンが一番美味しいか?みたいな、好みとかありますやん!って話を語りあうの苦手(^-^;

だから、むちゃくちゃ理不尽で自分勝手な理屈で怒鳴ってる人とか、強く発言してる人をみると うらやましいな と思うんです

なりたいとは思わないけどね

(さっきコンビニで、コーヒーの入れ方がわからず店員さんに、教えて下さい ではなく、お前がやれよ!と怒鳴ってる人を見かけたので)


それに限らず、世の中によくいる 俺がそう思うから正しい!

と無条件に信じ、それを人にまで当てはめようとする人達について、おそらく色々と間違ってきた人生だろうに、その謎の自信はどこからくるのか と思うのです(>_<)

何も店員さんを怒鳴り付けるのがうらやましいって訳ではないですよ!

では、どこがうらやましいのか? というと

堂々と、これが絶対に正しい!と強く言う人の方が、もちろん意見が通る事は多いだろうし、それがむちゃくちゃな奴 ではなく、しっかりした意見を持ってるように見えたり 単純に正しいと思われたり

きっと得な事が多いようにも思うので、うらやましいなぁ なのです(>_<)

私は、それがある場合には正しいとしても、立場や視点や観点を変えてみると絶対的に正しい!という事なんてほとんどないと思うので

こういう考えもある という主張はできても、これが絶対正しい という主張はなかなかできないなぁ と思うのです

なので、ほとんどの主張は、私はこう思う とか、こんな考えもあるよ というスタイルであり、これが絶対的に正しい!と言ってるつもりは全くないのです

絶対に正しい!事なんてなかなかないですよーって話でした。

※ 誰かが、明日の昼は絶対にここのラーメンを食べる!と言った時でさえ、明日絶対に昼御飯を食べる時間があり断れない誰かに誘われたりもせず、その店が臨時休業もせずにラーメンを提供してるという保証もないのに、なぜ 絶対 なのだろう? と思ってしまうし

そういう人が、誰かに誘われたからと簡単にラーメン屋さんを放棄したら、お前の絶対とは? と思ってしまう自閉症野郎の戯れ言なのでしたm(__)m

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