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今回もTwitterの推しの若い女性からお題である。 考えている(病気の不安以外を)時間に自分は生きがいを感じるし、答えがないからこそやはり面白い。 生きている実感は人それぞれであるが、自分はベッドで寝ているだけで「死」を待つことには、どうやら耐えられないタイプの人間だということをここ最近で改めて認識できる。 ▼ お釈迦様とデカルトの思想を自分なりにお釈迦様の言葉に、愚か者が「私は愚か者である」と知れば、それはすなわち『賢者』という考え方がある。 デカルトの「無知の知
「急にどうしたのか…?」と思われそうな表題ではあるが、Twitterで私の推しの若い女性からお題を頂けたので、ウキウキしながら病室で考えたテーマである。 宿題は全部で3つも貰えたのだが、いずれも深くて考えさせられる。 浮かれた気分と真逆に、その女性は元々思慮深い方だと思っていたのであるが、予想はしっかり当たっていてとても楽しい時間を過ごしている。 やはり考えている(病気の不安以外を)時に自分は生きがいを感じるし、答えがないことだからこそ面白いと感じられる人間なんだと実感
転院に向けて様々なことが進んでいる。 一方でそれは全てが予定通りにはいっておらず、環境の変わる難しさを感じることとなっている。 今回の話は転院における難しさと。前処置を行う段階においての検査について少し書いていこうと思う。 ▼ 前処置前に行われている検査転院先の病院からの依頼を受けて、転院前の病院で様々な検査が行われた。心臓エコーに始まり、胃カメラに大腸カメラ、造影剤CTに呼吸器の検査。 これは抗がん剤投与を行う前にも行われた検査であり、転院後も様々な検査を行われる旨
知識を持っている人ともっていない人の『隔たり』というものは、この世の中にはたくさんある。 とても当たり前のことであるが、私のような「患者」と「医師」の間には『医学』という点での乖離というのはもちろんあるし、「金融機関の人間」と「一般人」では『金融知識』に当然差がある。「料理人」において「一般人」との『調理の能力の差』はもちろんである。 こういった形で、世の中には『知識や経験の隔たり』というものがありとあらゆる方面で溢れている。 今日はなぜこんな話をしているかというと、今