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感情には鮮度がある


私は感情にも鮮度があるんじゃないかと思っている。
だから、目に入った人がものが、素敵だったら、素敵ですねって伝えたくなる。
だって、その瞬間に感じることって、その瞬間のもの。3秒後には、1時間後には、忘れているかもしれない。もしかしたら、ワクワクするものが次々現れたら、1秒前のものへの気持ちが霞んでいってしまう。記憶力はいい方じゃないから、全てを覚えていたくても、感情まで一緒にとっておくことは出来ない可能性の方が多い。

せっかく感情が反応したのだから、その感情を出さないと勿体ないと思う。
だって、これはポジティブな事だから。
素敵だなとかいいなと褒める言葉だからこそ、尚更そう思うのかもしれない。


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私は人の良いところを探すことがすきだ。
探すだけじゃなくて、伝えるようになったのは多分。
私がよく怒られて否定されていたからだ。
怒られる側の気持ちを私なりに共感する。
否定ばかりされると、真っ直ぐ前をみるのが恥ずかしくなる。
ダメな自分は、周りの人からもそう思わせているんじゃないか。と、怖くなって誰かと視線が合わない様に、顔も見られないように下を向く時間と頻度が増えていくように思う。


でも、私は肯定されたかった。
私という人間には否定するしかない部分だけじゃなくて、受け入れてもらえるような部分があって欲しいと思った。ダメな部分ばかりに反応するのではなく、よかった部分、直そうとした部分にも気づいて欲しかった。


後に考えてみたら、ダメな部分ももちろん多いけど、受け入れられる、肯定してくれる部分だって少しだってあったんだと思う。


けれど、人によっては、関係性が近いと踏み込んでもいい線とかぜーんぶ吹っ飛ばして当たり前のように、その人好みにしようとする。
ズカズカと踏み込んでくるし、許容範囲が一気に狭くなる。これはダメ。何でこんなこともできないの?と。
ダメな部分にばかり目がいきがち。
いい部分を当たり前だとスルーしないで、
口に出せばいいのにとも思う。
口に出すことで、認められてるって直接わかるじゃないか。
自分は同じところでずっと足踏みだけしてるんじゃなくて、少しでも以前より進めてるんだってわかるじゃないか。
ダメな部分だけじゃなく、いいところにも気づいているよって伝えることは大事じゃないかなと思う。


それでも、遠くから私という人間のいいなという部分を見つけてくれる人はいた。そういう話は、時間が過ぎた頃に教えてくれたりした。

だから、きっと、誰かは必ず見てくれている人はいる。でも、それを言葉として出さないだけなんだ。タイミングが合わなければ、その言葉だって受け取れるかはわからない。


誰であってもそうやって、私のことをみててくれて、認めてくれている言葉は私に力をくれたりする。誰かの言葉がたった1つでも、前向きになれる真っ直ぐ前をみれる力になると気づいた。


その時から、私は口に出すことにした。
素敵だなとか、いいなとか思っている事は伝えるようにした。
学生の時なんかは特に幼ければ幼いほど、みえる世界の狭さには気づかない。
やたらと近い関係に悩むことが多かったりする。
でも、友人と互いに全てを話せるかといえば、私はそこまで近い人もいなかったし、私の個人的な問題を言われても解決はできないし、困らせるだけとわかっていた。
話せなかった。
背景を知ることはあまりない。
だから、感情が表情とかに出ない人は実は今、辛い状態なのか、何なのかわかることは出来ない。


でも、何か素敵と思ったこととかを伝えるだけでもしかしたら、少しだけ心の重みがとれるかもしれない。
前向きに少しでもなるきっかけになるかもしれない。
低くなってしまった自己肯定感を少しでも高くしてくれるかもしれない。
何より、明るい表情が増える。
これが1番いい。


そういう思いから私は誰かに対して好感を持った部分を口に出すことを意識し始めた。


だんだん、それが当たり前になって、
よく、「ひお。はすごく褒めてくれる」
と言われるようになった。


私はただ、いいなという感情を口にだしているだけ。
実は誰しもが心の中ではいいなと思うことはあるんだろうなと思うようになった。
それは、小さなことから大きなことまで。

褒め言葉を贈ると、とても恥ずかしそうに嬉しそうにしてくれたり、
実は…と過去を褒めてくれることもある。
時間がだいぶ経ってから、過去に私が褒めたことを覚えていてくれて、励みにしてくれたという話も聞いたこともあった。


そうやって反応をみていたら、
誰かの良いなという部分を伝えることはいいことなんだな
と思うようになった。


そして、私もこれを肯定するように、
感情にも鮮度があると思うようになった。
だから、いいことなら伝えておこう。
せっかく素敵と思ったことを1時間後に、1日後に覚えているか自信がない。
今、ジワっと生まれた感情の熱を伝えたい。冷ましてしまったら、何だか私のこの想いは違う形になってしまうかもしれない。
この熱は冷ますべきじゃない

と思うようになった。


私の周りにいる人は、
褒められなれてない人が多い。
口に出す人が少ないからだ。
すごい部分だってちゃんとあるのに、
それを知らないし、自信がない。

私はこれからも、いいなと思うことは、ドンドン言っていきたい。
それは私の本心であるし、せっかく生まれた感情を大事にしたいと思っているからで、
ちゃんと伝えたい。知っていてもらいたい。
あなたのその気遣いに助けてもらってるよ。
何げなくただ、あなたが選んだものが素敵で、
みれただけでとても気分がいいよ。と。

誰かの1日に少しでも、嬉しいと感じることがあるといいなと思うから。


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ただ、中には褒めたとしても、
この話題に触れられたくないと思う人もいる。
私の善意からの言動が相手にはそうじゃない場合もあるから、難しいなと思うことも。
そんなときは、謝ったりはする。

それでも、私は自分に素直に感情を伝えることをする。
私は私の感情を私だけは否定しない。
私は自分も大切にしたいから。
自分も相手も大切にしたい。
相手が自分を認められなくても、
私はあなたが認められない部分であっても、
私からみたら、凄いことだよと伝えたいから😊



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