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本質を捉えること

毎日のようにコーヒーを飲んでいると、だんだんコーヒーと麦茶の違いが分からなくなってきました。ほら、いつも家にあって喉が渇いたら飲んでほろ苦くもあり甘さを感じる薄茶色の液体...どっちだ(子どものころ置いてあった日本酒を水と間違えて一気飲みしましたすぐ吐き出しました危ないですね)

「本質を捉えること」というテーマ。
このことをお話しする前に仕事ができる人とできない人の違いをお話ししてみます。過去に何かで読んだ記事で確かになあと思ったことです。

KさんはクライアントからA案をやりたいと言われました。Kさんは会社に帰ってそれを上司に報告したところ、上司はそれよりもB案の方がいいじゃないかと言ってきました。挟み撃ちです。

A案を取れば上司に怒られ、B案を取ればクライアントから怒られます。
全く違う方向性の2つの案でした。

この時どうするのが正解か。

自分で考えたC案を両方に提案することです。いきなりC案なんて言ったら怒られると思うかもしれませんが、内容が大切です。

A案とB案が解決しようとしていることは何か?つまり本質を捉えること。

マーケティングを語るのに有名な話がありますね。
ホームセンターにドリルを買いに来る人は穴を求めている。
ボードに穴を開けたいからドリルを買いに来たお客様には、ドリルを案内するよりも穴の開いたボードがあることを案内したらいい。お客様は穴の開いたボードがあることを知らなかったとしたら、初めから穴が開いているのを使う方が楽ですよね。

僕もバリスタという仕事をしながら新店舗設立や新ブランドの立ち上げ、新しいプロジェクトの運営など色々なことをやっています。

例えば新店舗設立においては内装業者との打ち合わせもあります。
僕はコーヒーのプロではあるし新しいことを考えるのが得意ではありますが、内装工事のプロではないわけです。

こんな風な内装にしたいけどどうなのかな?ここはイメージがつかみづらいけど完成したらどうなるのかな?そんなことを内装業者さんと話し合ってすすめていくわけです。

おおまかなイメージを伝えて後日見積もりを…となり後日見積もりを聞いているとこちらがお願いしたことしか見積もりがないとどうでしょう?

店舗を作るときの本質は「いいお店を作りたい」「他と差別化できるようなおもしろさを」「自分のイメージを具現化したい」といった部分にあります。自分が伝えた内装は自分の限界点でのイメージでしかありません。

イメージを聞いたうえで見積もりを作る際に、お願いされた部分の見積もりとは別でイメージから連想するとこんなものも合うのでは?むしろこれがあるほうがイメージに近づくのでは?もしくはこれは無くして違うものを入れてみると良いのでは?最近の新しい技術を取り入れるとこんな感じでできますよ?という提案が欲しいんです。

僕がコーヒーのプロとしてすごいマニアックな最新器具や手法を知っているのと同じで、内装業者さんにはその道の人しかまだ知らない、興味のある人しか知らないおしゃれな手法があるはずです。仮にイメージが何か分からないなら分かるまで聞くべきなんですよね。

この本質を捉えるというのは仕事以外にも活用できることで、身近な部分で言うと子どもに叱るとき。やってはいけないことを子どもがやってしまった時に、「やってはいけないことをした」事実を叱るのか「なぜやろうとしたのか」を聞いたうえで叱るのか...のどっちが本質かと言えば、後者ですよね。

子どもはダメと言われても我慢できません。体験したことないことをダメだと言われて素直に受け止められる子どもはそうそういないです。

でもそんな子どもでも極端な話「人を殺したらダメ」というのは体験したことなくても分かっていますほとんどの子が。

でもなんで「人は殺したらダメなの?」と聞かれて「法律で決まってるから」「普通に考えたらダメだから」と答える大人が正解なはずは...ありません。

「人を殺してもいい世界になってしまったら全世界の人間がみんな疑いあって、街を歩くのもご飯を食べるのもオンラインゲームをするのも寝る時も何もかも、誰かに狙われていると思って生きなくてはいけない。それが人を殺してはいけないというルールを設けるだけで全て解決できる」
子どもに言うならもうちょっと分かりやすくサザエさんでも例えて話すと良いかもですが…

これは極端な例で、「なんで他人を叩いたらダメなの?」「なんで他人の物を取ったらダメなの?」という質問と同じです。

ちょっと哲学的な話に脱線しましたが、物事の本質を捉えて見るようにするだけで見える世界は変わります。

仕事でも人間関係でも相手が本当に求めていることは何か?を考えるとうまくいきやすくなるんじゃないかなと思います。

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