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『ドラァグクイーン殺人事件 ─夜のカマドより愛をこめて─』上映会

過ちを背負ってもなお、人生は続く

前回初めての投稿で「twitterからのクリック障壁を下げたい」という話を華々しくしたわけですが、いざtwitterに記事のリンクが投稿されるとサムネイルにがっつり水戸黄門像という異様な雰囲気のツイートができあがってしまいました。

逆の立場だったら多分クリックしない。まだ記事タイトルとURLだけの方がクリックする気になるような気がする。

幸先があまりよろしくないですが、気を取り直して芝居の感想書きます。

ディレイビューイングのありがたみ

去る11月30日、大学の後輩達が所属している演劇ユニットこれっきり『ドラァグクイーン殺人事件 ─夜のカマドより愛をこめて─』上映会に行ってきました。

どうですかこのタイトル。

この唯ならぬ事態にしかならなそうな感じ、最高じゃないですか?

会場に足を運んで貰わなければならない分、演劇って他の媒体よりもコンテンツにたどり着くまでの道のりが長いので、パッと見て内容に興味が湧くタイトルを付けるのは大事だな、とつくづく思います。

そんなわけで大変気になっていた今作品、よりにもよって公演当日に仕事が当たってしまって泣く泣く観劇を断念したのでありました。

水戸演劇フェスティバル参加作品なので上演はワンステージのみ。

映像だけでも観る機会を作ってもらえて、本当にありがたかったです。

特筆すべきなのは、会場に様々な工夫が凝らされていたこと。

わざわざ会場に照明を設置して物語の雰囲気を演出していた上、これっきり所属のキャストが上演時の衣装とメイクで応対してくれて、単なる上映会に留まらない作りになっていたのがとても楽しかった。

こういう、これっきりの「とにかくやったら楽しそうなことを徹底的に追及する」スタンスが僕は大好きです。

お客さんの中にキャストの田中堅実役・ゴライがいたんですが、デグラ=ミソス役・柿沢チョモとのアドリブ劇が突然始まったのを見ることができて、ちょっと得した気分。

展開の瞬発力と、土台としての構成力

宣伝物から受ける印象で勝手にルパン三世みたいな飄々とした逃避劇を想像してたんですけど、実際は思っていたよりもずっとダークな雰囲気の物語でした。

江連さん脚本の公演を観るのは(多分)4回目。

毎回脚本の構成力が抜群で、最初から最後まで安心して観ていられる印象があります。

『弁慶の笑いどころ』の感想でも書いたけれど、とにかく無駄が無くてダレないので、芝居から受ける印象が途切れず最後まで観切れる。

この感覚は社会人劇団の公演ではなかなか感じる機会の少ない、江連さんの大きな強みだと思います。

例えば、比嘉組周りの話なんかはキャラクターが魅力的なだけについ深掘りしたくなるけど、彼らが脇役に徹していたからこそ作品としては見やすくなったんだと個人的には感じています。

twitterを見る限り江連さんは悔やんでいたようだけれど、芝居全体のバランスで言えばあれくらいの容量にするのが正解だったんじゃないかと。

でも、江連さんは比嘉組を脇役にしたくなかったんだろうなぁ。

単なる脚本としてではない、「物語」に対する江連さんの愛着が伺えて、なんだか素敵だなぁ、と思いました。

今回の脚本で最も印象的だったのが、「無茶苦茶な出来事の愉快さ」と「残酷なまでの現実感」のバランス感覚。

突拍子の無い出来事で非日常感を出しながらも、引き戻されるような現実感で物語に真実味を与えているのが、本当に巧みだと思います。

「役者の実在性」という魅力

映像しか観てないので役者について個別に書けることはあんまり無くて、ただただあの場にいたかったなぁ、という思いがとにかく強いです。

特に「音楽」が関わるものについてはその場の空気がとても重要だと思っているし、殊今回の芝居はキャストそれぞれが持っている雰囲気が特に魅力的だと感じたので、それを生で体感したかった。

強いてキャストについて個別に言及するなら、ぜしはもっと役者で出るべきだと思います。もったいない!

声は通るし舞台映えするし、チョモやずんとは演技の色が全然違うから舞台上に幅が出る。

自分で描く脚本の雰囲気にやりずらいかもしないけど、江連さんが自分の脚本で出る時みたいなポジションでいいからもっと舞台で観たいと思いました。

アンジー氏とは、ずんさんと江連さんの結婚式で同じテーブルになって初めて知りあって、すぐ意気投合して20分くらいで肩組んでゲラゲラ笑ってたという不思議な仲なんですけど、演技にも彼の気の良さが良く出ていて、陰りの多い今回の芝居に風を通していた感じがしました。

話の筋としては物語の最大の陰りをもたらしているのが他ならぬアンジーであるというのも、皮肉めいていて面白いなぁ、と思います。

余談ですがアンジー氏、今回の舞台のために6kg減量したそうなんですが、俺もずんが作演した舞台の役作りで体脂肪率1桁スレスレまで減量した経験があるので、妙な親近感が湧きました。

『夜カマ』はハッピーエンドかバッドエンドか

上映会の後にはこれっきり所属のメインキャスト3人+作演の江連さんが登壇してのトークショー。

その中でテーマの一つになっていたのが「今回の物語のラストはハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか」という話。

事前にtwitterで取ったアンケートではハッピーエンドだと思った人の方が多かったんですが、個人的にはバッドエンドだと感じてます。

一番大きな要因が、アンジーという存在。

江連さんの脚本をまとめる力と演出効果の賜物だと思うんですけど、今回の物語って大団円のように見えて、情報だけ整理していくと登場人物達は失ったものはあれども得たものってほとんど無いと思うんです。

特にアンジーに関しては、勇み足で自分の命を絶って、大切な人達を危険な目にあわせた上、愛する人に自らを犠牲にして蘇らせてもらうという、喪失感しかない結末。

きっとデグラ=ミソスを失った後のアンジーの歌声には悲哀の感情が詰まっていて、きっと以前とは比べ物にならないくらいに素晴らしいのだと思うのだけど、それでも歌っているのは依然と変わらない小さな店。

トークショーで江連さんが「ニューヨークオチでもよかったな、って思った」と話していたけれど、そのくらい大きな成功があっても50:50、ハッピーエンドと言い切るまではできないと、個人的には思います。

それくらい、アンジーが背負った過ちは重いように見えました。

これで最後、アンジーが最後のシーンで晴れやかな表情をしていればちょっと感じ方は違うかもしれないけれど、逆光に照らされたアンジーの表情は影が落ちていて分からない。

あの演出の意図は分からないけれど、最後の逆光は最後まで晴れない物語の陰りそのものに見えて仕方なかったんですよね。

ただこれに関しては、自分がこの舞台を映像でしか観てないというのも大きいような気がしてます。

舞台の空気から伝わる感情って相当大きいんだろうな、と再認識。

10-FEETというバンドのライブを観に行った時、MCで

「忘れたいことを、忘れさせてくれるのが音楽です。でも、忘れたくても忘れられないことがあった時、そういうものに向き合おうと思った時、そっと背中を支えてくれるのも、音楽です」

という話をしていたのをふと思い出して、音楽には事実から受ける印象を変える力があるのかな、なんて思ったりもしました。

実は

宣伝用の写真撮影でお手伝いさせていただいてました。

江連さんからも掲載許可いただいたので、ちょっとだけ蔵出しします。

チョモは一瞬で雰囲気を作るのが抜群に上手い。

芝居も写真のモデルも、本質は同じなのかもしれないなぁ、なんて思いました。

撮ってて本当に楽しかった。

撮影一番乗りだったのがずんさんで、最初は探り探りだったんですけど、一度コツを掴むとみるみる内に雰囲気のある写真が撮れるようになったので面白かった。

後姿がマジで女子。

こういう女子、いるよね。

一番苦戦したのがぜしだったんですけど、小物で雰囲気がガラッと変わったのが個人的にとても勉強になりました。

3人一緒の写真も何種類か撮りました。

この1枚は雰囲気もライティングも良い感じに撮れて、自分ではとても気に入ってます。

千年企画さんでフライヤーとパンフレットのデザインをさせていただいた時にも思ったんですけど、大学のサークル時代に納得の行く仕事ができなかった宣伝物というものが、辛うじて自分と演劇を繋いでくれているのは、本当に嬉しいことだなぁ、と思います。

依頼をくれたこれっきりの皆さん、本当にありがとうございました。

5周年おめでとうございます

脚本も高水準でキャストも盤石の布陣、総じて安定感のある公演でした。

立ち上げ当初は結構粗削りな印象があったけど、5年も続けているだけあってがっしりとしたユニットの色が出来てきているなぁ、と感服します。

トークショーを聞いただけでも、更に良くしようとする意識や新しいことをやってみたいという意欲がひしひしと伝わってきたので、今後が本当に楽しみです。

よかったらまたお手伝いさせてね!

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