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『伝染るんです。①』(文庫版)P3〜日常は言葉を拒む〜

 まさしく、言葉は狂的な速度で現実を捨て去る。「犬」という言葉は現実の犬ではなく、感性的な雑感を排したところの「犬」であり、現実の犬に対する心の機微は括弧付きの「犬」には込められない。括弧を察してくれ、と言うのは到底無理であるから「コリー」だの「ポメラニアン」だのを連れ出す訳であるが、どれだけ言葉を尽くしても現実の犬には届かない。さりとて、言葉は現実未満であるとも言えず、人に伝わらないわけでもない。むしろ伝わる。日常においては言葉と現実の距離が近い。それゆえ日常世界は成り立ち、犬屋は犬を、パン屋はパンを、コンビニはヨロズを売ることが許される。が、何事にも限度があり、現実を突き放した学者的言葉遣いや、現実を含みすぎた詩人的言葉遣いは日常世界には受け入れられない。日常世界を超越するのはいつも、美少女醜男の美や少や女や醜や男など、言葉以外の感性的経験である。結局、日常は言葉を拒む。職人のように。

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