未完成のまま進む生きもの
ほぼ日の塾のコンテンツが昨日公開されて。
昨日のお昼ごろには、「ああああ、ひとまず提出できてたし公開されてたし、よかった……!」という安堵感に包まれていた。じぶんのコンテンツが世に出るまで、いままでの課題2つよりも大きな緊張があったんだよね。それは、じぶんが感じている重さが変わったからだと思う。
それから、ほかの塾生のコンテンツを読みはじめた。
みんな、すごい……!
誰もが、挑んでいるのが、ひしひしと伝わってくる。剥きだしの、やわらかいところが、勇気を持って、差し出されている。それがコンテンツになっている。ほんとうに、すごい。
まだぜんぶは読み終わってないんだけど、読んでいてすでに何回か泣いた。
「ああ、ここを書くとき、ドキドキしただろうなあ」とか、そういうことをヒリヒリと感じる。読み手であり、書き手の仲間でもある視点を、行ったり来たりして、噛み締めて読む。
ほかの塾生と会う回数は、そんな多くない。だけど、この塾で出会った塾生のひとたちを尊敬しているし、すてきだなあって感じるし、だいすきだなあって思う。まだあまり話したことのないひともいるけど、話せばすきになるだろうなあと思う。
実際、このあいだ勇気を出して「TOBICHI②に一緒に行きましょう」って塾生のひとたちに声をかけて、ほぼはじめてちゃんと話した3人のひととは、とても楽しい時間を過ごせて、すきになった。
正直はじめは「ほぼ日の塾の、塾生です」とみんなにいうのが、なんだか……怖かった。いろいろ理由はあるんだけど、ここでは書かない。とにかく怯えてた。
でもいまは、情けないじぶんも、それに対して頑張ったじぶんも知っているし、周りの塾生のすてきさだってありあまるほど実感しているし、じぶんを含めたみんなが誇らしい。(って言ったら調子に乗ってるだろうかとか考えちゃうのが私なんだけど)
私はずっと、未熟なままなんだと思う。それが人間なんだと思う。誰もが完成しない生きものなんだ。だから生きてるし。それでもなにかを求めて進んでいく。
そういうものだから、怯えない。恥ずかしくっても、傷ついても、それでいいから。それがいいから。書いていって、生きていきたいと思う。もしかしたら書かなくてもいいのかもしれないけど、そういうことは決めずに、透明な矢印のさす方角へ行きたい。
いろんなことにさ、
すぐに答えを求めるなんて、ずる賢いよな。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。