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料理の腕前は父のせい。

ごはんをつくること。その時間をこの2年くらい極力削ってきた。この便利な世の中、それも十分可能だ。だけど、ほんのちょっと余裕ができて、手抜きだけど、最近再びごはんをつくるようになってきた。でもぜんぶテキトー。びっくりするテキトーさ。

なんでこんなに料理がテキトーなんだろうか。そう思ったとき、父の顔が浮かんだ。わたしに料理を教えた父の責任にしちゃえば、楽だよなあ。そうじゃないひと、どんな環境だって丁寧に料理をするひとがたくさんいるのはわかった上で、やっぱり父のせいにしたい。

父は料理が下手だった。もともと亭主関白だから、料理をすることはなくて。母がつくった料理で気に入らない品があれば、一口食べて、もう手をつけないという亭主様ぶりだった。

でも、母が家を出ていくことになったら、父は料理をはじめた。クックドゥを使った回鍋肉さえ失敗していたけど、上手になっていった。

わたしも小学生四年生の秋くらいから、ママゴトや教育ではなく、戦力として料理をする人間になった。

ごはんをといで炊く、お味噌汁をつくる。それが、わたしに課せられた毎日の仕事だった。といっても、顆粒だしでつくった味噌汁だ。それがもうベーシックだった。だからいまでも、あんまり出汁をちゃんととったりはしない。粉末になった煮干し使ったり、水から置いとくだけで出汁とったり。そのくらいが多い。父のせい。

あと、包丁を使って父の前でりんごを剥きまくった。それまで、包丁を握ることはほぼなかったと思う。
皮を剥くときは包丁を動かさないでりんごを動かすこと。切るときは猫の手をつくること。なんども飽きるほど言われて、りんごを剥き続けた。おかげで包丁で手を切ったこと、たぶんないと思う。

そのうちおかずも一緒につくるようになったけど、父が大さじや小さじを使ったところを見たことがない。すべて目分量でやっていた。わたしもそうするようになった。当たり前だ!ネット見て料理する時代でもなかったんだから。父のせい。

小学六年生のとき、給食室の長期工事という運のなさでお弁当をつくる必要があって、お弁当の料理本を買ったら、メニューはきちんと計られていて、世の中のことを知った。しかし、すでに刷り込みは完了していたので、調味料をはかる人間には更生できなかった。目分量でつくった。おかず3品くらいのなかで、冷凍食品を一品入れていいというのが父のルールらしかった。

そんなこんなで、父とわたしと、妹のぶんの3つのお弁当を毎日つくる生活がはじまった。しかも横浜市の公立中学には給食がないので、中学でもずっと父と代わりばんこにお弁当をつくっていた。もう立派なお弁当をつくろうなんて気持ちが芽生える隙がない。彩りは気にするものの優先順位低め。

料理は計らない。お菓子だけは計る。
それがわたしのずぼらルールだ。
お菓子だけは計らないと即失敗するので、油断できない。だから計らなくてもいいように、だいたい計ってあるホットケーキミックスを使って済ませる。ずぼらだから……。

料理のことを、料理をするようになる前には、好きだったように思う。でも、必要に迫られて、夜ごはんをつくるために遊んでいても夕方早めに家へ帰る生活をしていたら、全然楽しさを感じる余裕がなくなった。仕方なくやるものが、わたしにとっての料理だった。テレビの料理コーナーをかぶりついて見て、真似したこともよくあった。あとスーパーで配られる小さなレシピをもらって来たり。八百屋さんでおいしい食べかたを聞いたり。

まあでも、そのおかげで、いまも別に困ることなくテキトーでも料理して「おいしいなあ」とごはんを食べて生きていけるんだから、ありがたいとも思う。

父のせいで、テキトーで手抜きでそこそこおいしい料理をつくれるようになれて、よかったな。

やっぱり料理は独学でもあるし、いろんなひとや情報の影響を受けるから、父とわたしの料理はちがう。そのちがいが、また楽しかったりする。

ま、テキトーでいいよねえ。

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