吃音の本質をつかむことの大切さ

以下は、私が以前、とある方の吃音のHPに載せていただいた文章です(5555という名前で掲載されています)。雑な面は否めないですが、吃音改善に光を見いだせる内容ですので、現在吃音で困っている方に読んでいただけたらな、と思っております。では、以下、その文章。

<吃音博士とAさん>

「吃音を治したい」。<吃音者>のAさんがやってきました。吃音博士は提案しました。
「無人島に素敵なホテルがあります。一ヶ月自由滞在券をあげますから、一ヶ月暮らしてくださいお部屋には観葉植物、ペットもいます。たまにシッターAIが赤ちゃんを連れてきますよ。そこは自然豊かなところですから、赤ちゃんにもとてもいいんです」

一ヶ月後、滞在を終えたAさんとの吃音博士の会話。
博士「どうです。アイボ、赤ちゃん、ペット、植物、お話する機会はたくさんあったでしょう。どもりは少しはマシになったでしょうか」
A「治りませんでした。というより、人がいないので、治ったか治ってないかわかるはずもありません」
博士「おやおや、赤ちゃんやペットも生きていますよ。一方的であれ、話はしたのでしょう?」
A「はい。でも相手がそれじゃあどもるはずもありません」
博士「たった一度もどもらなかったと?」
A「どもりようもありませんよ、赤ちゃんやペット相手じゃあ。どもる機会がなかったんですよ。ひどいじゃありませんか。発話のトレーニング、素晴らしい吃音改善カリキュラムを期待していたんですよ」
博士「おかしいな、話がよくわかりません。あなたはどもりに悩んでおられた、そしてスムーズに話せるようになる発話方法の訓練を期待していた、しかし、一ヶ月間、あなたが植物であれロボットであれ赤ちゃんであれ、会話したときにあなたはどもったことがない、とおっしゃる。そして、あなたは一ヶ月間どもったことがないのに、発声練習をしたい、そう強く希望しておられる、というのですね」
A「・・面白がらないでください! あなただってわかっているはずです。吃音がどういったものか。複雑なものです」
博士「なるほど、あなたは、確かに話せる・・しかし、赤ちゃんや植物、ペットではなく、あなたと同等の人格を持った人が存在すると話せなくなる、というわけでしょう」
A「そうですよ。この一ヶ月、無駄に過ごしましたよ」
博士「私がみるところ、植物、ペット、赤ちゃんなど相手に、自分主体、自分軸で会話しているときにあなたはどもらない、それが他人の存在で相手側に中心が置かれるとどもるのだと思いますよ」
A「・・そういうの、うんざりなんですよ。ユング、フロイト、アドラー、他珠玉混合のスピリチュアルな精神論もたくさん読みましたよ。ええ、ええ、わかっていますよ、あるがままの自分、自己肯定感、自分に自信を持て、なんとかかんとか、そうすれば吃音は治るといいたいんでしょう」
博士「・・」
A「そんな単純なこと、理解しているに決まっているじゃないですか! 昔の私はさておき、今は自己肯定感の塊ですよ! 自信もあります」
博士「それは素晴らしいことですね。さて、私が聞いているのは、自分軸で会話をしているか、ということです」
A「え」
博士「まさかあなたも、完全無欠にどんなときもどもらない人間を目指しているわけじゃあないでしょう。好きな人への告白、大事な試験の面接官、相手が自分にジャッジを下す場面ではどんな人も相手側に中心が置かれてしまいます。みな、それで赤面し、たまに虚言を言ってしまい、また言葉につまり、あるいは挙動不審になってしまうのですね。みな、相手軸での会話にはつまり、どもるのですよ。それがごくごく普通、ノーマルなことです」
A「・・」
博士「一般に吃音者と言われる人は、本来なら限定された範囲しか持たない相手軸での会話シーンが、ごくごく当たり前のシーンにまで拡大・適応されている人たちのことです。家族、友達、スーパーの店員さん相手にまで自分軸でなく相手軸で会話してるんです」
A「・・」
博士「おわかりですか。吃音者に必要なのは、発声練習ではありません。自己肯定感や自信、あるがままの自分、というのも、絶対条件ではありません。自己肯定感があればどもりは治る? 自己肯定感がないのにペラペラ喋る人はゴマンといる事実はどう考えればいいのでしょう。吃音者に必要なのは自分軸での会話です」
A「・・自分軸での会話・・具体的に教えてください」
博士「自分中心ということです。何かに夢中になっているとき、あなたは他人のことを考えたりはしません。他人が家にやってきます。夢中になっているあなたは邪魔されたくない。居留守を使う。悪い例かもしれませんが、自分軸の行動です。相手の事情を考えていない。あるは、夢中になってるのに話しかけられます。あなたはとっさに遮ります。『ちょっとまってて! 今いいところだから!』
多分、こういったとき、多くの吃音者はどもらないと私は思います。思考が完全に自分軸だからです。相手がどう思うか、相手の心情を慮る気持ちは微塵もありません」
A「・・」
博士「吃音、虚言癖・赤面症・その他の神経症の多くは、治る・治らないの問題はでありません。もともと吃音の人、などは存在しません。あえて定義するなら<本来なら自分にジャッジを下す立場の人間を前にして出る生理反応が、一般的な症状出現範囲を大幅に超えて日常生活に出現するため、生活に支障をきたしている人たち>といったところでしょうか。世界中の皆、誰もがあるシーンでは吃音を持ち、あるシーンではもたないのです。虚言癖・赤面症の人をあなたが滞在したホテルに一ヶ月いてみてもらいなさい。四六時中赤面すると悩んでいた人も、空気を吐くように嘘をつきまくると悩んでいた人も、あのホテルでは症状がでようはずもありません。相手軸でのシーンが一度もないからです。他人がいて、初めてそれらの症状は出るのです。相手がどう思うか恐怖するあまり、人は赤面します、相手から少しでも歓心をかいたいと人は嘘をつきます。思考の中心が相手になっています。相手軸です。吃音の人の場合は、相手が受け入れてくれるかどうか不安なあまりどもります。完全に相手軸です。会社の面接では、多くの人が虚言または、赤面、またはどもります。三つの症状全部揃う人も珍しくないでしょう。相手から歓心をかいたい、かつ相手からどう思われるか、相手が受け入れてくれるか不安、そんな会社の面接では大抵の人は多少は嘘をつき、赤面し、言葉に詰まります」
A「・・どうすれば自分軸で生活できますか」
博士「相手は自分をジャッジなどするはずもないと理解することです。試験官や告白相手でもない限り、誰もあなたをジャッジしないし、する権利もないし、する義務もないし、またする暇もない、したくもないだろうと理解することです。中には例外もいるかもしれません、母親であるとか、上司であるとか。しかし、それは例外にすぎないのです。スーパーの店員さんがいちいちあなたを評価するはずもありません」
A「頭では理解できても、無意識が理解しなければ、これまでのように店員さんにもどもる気がします」
博士「ああ、予期不安ですね。諸悪の根源です。気持ちがもう相手軸になっています。不安を感じている時点でもう喋る前から相手軸なのですね。不安を感じる必要なんて微塵もないはずです。どもったら、つまったどうしよう、と? 何も起こりません。ただどもっただけの客です。それ以上でも以下でもありません。それなのに、店員さんと会話する前からドキドキドキドキ・・一体どういうことでしょう。何か考え過ぎではありませんか。その不安は何ですか。どもったら変なやつだと思われる? 思われたらそれがどうしたというのでしょう。相手から変なやつだと思ったら落ち込み、相手から面白い人だと思われたらそんなに落ち込まない、相手がどう思うかで自分の感情が変わるのですか? あまりにも思考と感情が相手軸すぎますよ」
A「・・」
博士「吃音がなかなか治らないと言われる所以はこうです。まず、予期不安、つまり相手にどう思われるか、という相手軸の思考では、会話は流暢さを欠きます。そしてその失敗ゆえに、なんとかして挽回したいと思います。しかし、自分は変人なんかじゃない、ごくごく普通の人間ですよと相手にわかってほしいと願う、その思考自体が相手主体の思考であり、その相手主体の思考がさらに相手軸の会話につながり、また失敗する。そしてまた今度こそはまともな人間だとわかってほしいという、またしても相手主体の思考になり・・、というのが永遠に繰り返される泥沼のような状況を引き起こしているからです。虚言癖も同様です。あなたは、虚言癖について、ただ嘘をやめればいい、そんな単純なことがなぜ出来ないかと不思議に思うことでしょう。嘘をついた相手を幻滅させないようにまた嘘をつく、ここでも相手の歓心を買うことから相手を幻滅させないという一連の思考が全て相手軸になっており、自分軸に戻るきっかけを完全に見失っているのです」
A「つまりは予期不安を感じた時すでに吃音ループは始まっているのですね。そこがすでに吃音なのですね。なくすべきは吃音症状そのものではなく、予期不安なのですね」
博士「そうです、予期不安をなくせば吃音症状などあらわれはしません。出る幕ないんですよ」
A「予期不安をなくすにはどうしたら?」
博士「好きなことをしてください。楽しいこと、わくわくすることをすることです」
A「・・」
博士「好きなことをめいっぱいして忙しくしていたらいいんですよ。好きなことをするのに忙しく、暇のない人に予期不安の出番はあるでしょうか。ないでしょうね」
A「・・そんな簡単にいくとは思えないけれど、あなたと会話して、かなりの発見がありましたよ」
博士「最後に一つ言っておきましょう。私と会話している間、あなたは流暢に話していましたよ。普段なら相手軸の会話をするあなたが、吃音というあなたを苦しませてきた魔物をなんとしても退治しようと自分軸で会話していたからじゃないですか。私の事情など考慮もせず、ただ、ひたすら吃音を治したい、その強い思いがあったのでしょう。あなたにも、他人の事情などお構いなしに自分を出す、そんな面があるのですよ。いくらあなたが吃音になるシーンが多いからといって、それを自分自身の人格と同一視してはいけません。人はそんな単純なものではありません。あなたの生活で吃音があるシーン、また吃音に思い悩むシーンが多すぎるというだけで、あなた自身が吃音者ということはありえません。吃音でないシーンを日常でもっと多く持ってください。少しづつでいいのです。吃音ではないシーン、つまり趣味の時間や楽しいだけの時間、そういう時間を増やして言ってください。相対的に、吃音シーンは減っていくはずです。もちろん無くなることはありません。ごくごく普通の人にさえ吃音シーンの余地はあるからです。吃音シーン、つまり吃音が出るときだけではなく予期不安の時間も含みますが、その時間が日常の三割になり二割になり、生活で特に不便を感じなくなったら・・あなたはもう、自身に付けた吃音者というレッテルがバカバカしくなり、その名札を自ら外すことでしょう」

※私の説明では自分軸の逆の概念として他人軸・相手軸という表現が2種類使われています。他人軸・相手軸は同じ概念・意味として使用しています。

参考に定義を書いておきます。

吃音症⇒「自分にジャッジを下す立場の人間を前にして出る、言葉がどもる、詰まるという人間の生理反応が、一般的な症状出現範囲を大幅に超えて日常で出現する症状」※症状の部分を入れ替えることで赤面症・虚言癖・場面緘黙症等の説明も可能

吃音者⇒「本来なら限定された範囲しか持たない相手軸での会話シーンが、ごくごく当たり前のシーンにまで拡大・適応されている人」※相手軸⇒自分ではなく相手の判断を重視すること。通常の場合、相手軸は面接官や会社の怖い上司といった限定された相手との場面で起こる。

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