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苺の月で眠る(10代への遺書)

 わたしは今、アパートのベランダに立ち、夏風を浴びながら、過ぎ行く日々と、遠い故郷のことを思います。かつては希望を抱いてやってきた夢の跡地に、大きなビルが建ちました。
 公園を駆け回り、小さな花を拾い集め、幼少のわたしは笑っていました。しかし、大人になるにつれて、とくに「十代」と呼ばれるようになってから、わたしはその花たちを毟りとり、ばら撒き、ちぎることで、自分と世の中を否定し、それが愛だと主張しはじめました。なぜこんなことになってしまったのかは、わたしにもわからないのですが、その頃ちょうど、こうして文章を書くようになりはじめたので、行き場のない千切られた花びらは、誰にも見せず、部屋中に文章を書きなぐったルーズリーフをばらまいていました。
 東京は、思っていたより、いい所ではありませんでした。東京に夢を抱いていた、若いわたしに言いたい。渋谷も新宿も汚いし、人が多くて煩いし、毎日のように人身事故は起きるし、部屋中にぬいぐるみを置いても寂しいし、夢見ていた都会での暮らしは、いまやただ、真っ白な自室の壁をながめているだけなのです。書きかけの手紙、飛行機にして飛ばして、墜落するような日々、本当に弱くなった時、本当に大切な人は居なくなります。
 ベランダに寄りかかって午睡ができる、静かで涼しい夏です。わたしは、ある夢を見ました。
 夢の跡地という場所で、落ちている、きらめいた欠片を、次々と拾ってポケットに押し込んでは、苺の月に向かってあるいていました。割れた瓶から溢れ出す青色の液体を踏みつけて、歩を進めていました。夢の跡地はまるで、わたしが耐え抜いてきた地獄の日々を、古い映画のように、永遠に流し続けているかのように思えました。架空の歌をうたいながら、わたしは進みます。だけど、なぜか、進めないのです。いつのまにか、ポケットの中に押し込んでいた欠片が、わたしの脚に突き刺さり、流血していたので、おもわず座り込んでしまいました。苺の月は遠く霞み、わたしは東京から地獄まで、手を繋いで飛んでいけることを、ずっと夢見ていたのですが、そんな思いはこの広い跡地の塵になって、やがてあなたやわたしの記録の一つになりゆくことを、ついに知ったのです。記憶していたことは、その日見た青が、耳元を過ぎる風と共に、ふわりと消えてしまったということです。絶望の淵から這い出ようと手を伸ばし、血塗ろになりながらも、跡地の青を、思いっきりのピンクで汚してやろうとしました。桃色の絵の具がたっぷり注がれたバケツをひっくり返すと、ゆっくりと水溜りは広がっていきます。瓶詰めにしていたピンクの世界に、血をぼたぼた垂らしながら、わたしは立ち上がってまた歩きだします。もう白いワンピースもピンク色に染まってしまった。これがわたしの色だと、頬にたくさんの絵の具をつけて、わたしは、夢の跡地に立っていました。
 苺の月は、遥か遠くにありました。

 わたしは誰よりも澄んだ気持ちの大人でいたいと願います。向こう見ず駆け抜けた日々のことを、一面ピンクに汚した夢の跡地も、ゼラチンの菓子のようにあまい罰を、凍りついた花には月夜の光を、行き場のない感情にはきちんと名前を、今こうして思い耽る人のことも、それは六月の霧雨が煙った池のように曖昧ですが、少女たることを、いつまでも忘れずにいたいと思います。
 昼も近づき、空は青色に澄み渡り、どこまでもどこまでも続いていき、もうわたしを縛るものなどなにも無いのではないかと思う日があります。そしてそのまま、子供のようにはしゃいで回り、夕方にはああ疲れた、と言ってねむります。わたしはわたしの中の少女と、夢の跡地を一緒に汚したことを思い出してくすくすと笑いながら、手を繋いで歩いてゆきます。そうやって、夜更け過ぎをぼうっとして待ち、迎えた朝が少しでもきらめいているように、ただ祈っています。

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