「死」への気遣い

飛騨古川の町にいると、死が近い。
あんなに元気だった人が?・・・という驚きがひと月に一度は起こる。(ちなみに、死はセンシティブなトピックだが、私は必ずしも死をネガティブに捉えていない。老いて死ぬことは生物の自然現象であり運命だ。もちろん当事者にとったら想像もできないほどに辛いことではあるが、ここでは現象と捉えて話したい。)

私にとって死はあまりリアリティのないものだった。東京に一人で暮らしていると、ご近所の訃報などは入りずらいし、自分の祖父母と接する機会はあまりなく、彼らの死も現実味を帯びず、どこか空を呈していた。あんなに可愛がっていた猫が死んだ時でさえ現実感はなく、それは今でも同じだ。心の中に生きているから大丈夫という余裕なのか、感情に蓋をしているからなのか。

何れにしても、死の距離が近い小さな地域、飛騨古川の町で「死」をとりまく慣習を知った時、いたく感動した。
年老いてくると、ご近所ではお互いが気遣い合う。 雪かきをしながら、軒先を掃除しながら、通りに腰をおろして井戸端会議をしながら、互いの様子を伺う。そんな毎日を通じて、じわじわと覚悟の気持ちを積み上げていくかのよう。
そしてその時が来ると、まるで虫の知らせがあったかのように、ある人が様子を見に行く。例えば夜中に亡くなっていると、救急車が無音で町へ入り、静かに去っていく。この町では、周囲への気配りが徹底している。救急車もパトカーも音を立てずに止まり、音を立てずに立ち去る。

さらに驚いたのは、霊柩車で運び出される日、同じ通りに住む家々の人々が一斉に軒先へ並び、一同に見送る。
無言のうちに、みんなが守り合い、覚悟し合い、寄り添い合う文化。

言葉のない言葉を使う時

残された遺族、とりわけ私と同世代の子供達のことを思うと、どんな言葉をかけるべきか、とまどう。頭が膠着してしまう。向こうとしても何か立派な言葉を期待しているわけではないことはわかっているようで。
「お気持ちお察しします。」なんて言葉はたいそうな人間のように感じて、自分には嘘っぽく聞こえる。慮ることも同調することもできるかもしれないが、その人の悲しみを取り去ることはできない。
「ご愁傷様」という言葉も普段使わなくて自分の言葉になっていないからか、発音しづらいからか、(なぜ先人はこんなに言いづらい同音を重ねたのだろう?恐らく、「死」のどうすることもできない状況にベストフィットする言葉なのだろうけど。)口から出た瞬間に罪悪感さえ感じる。「世間一般の言葉を発するしか脳がないのか?もっと気の利いたことが言えないのか?」と自分を攻めるも、再びその時が来ると、やっぱりこのひとつの言葉に“すがる”のだ。既存の言葉にすがるのは一見、便利だが、すがるしかない自分が無防備で脆くも感じる。言葉は時に役立たずだとも感じる。人生では、言葉のない言葉を使う時もある。「死」の時は、その一つだと思う。


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