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マイケル・ジャクソンとドナルド・トランプの知られざる友情

今回は日曜社刊『メイク・ザット・チェンジ』から、付録として書かれたMJ.とD.J.Tの強い友情関係を表すあるエピソードを、翻訳原文の引用によって紹介しよう。やや長いので、二部に分ける。

パート1

マイケル・ジャクソン、ドナルド・トランプ、そしてメディア

 ここでマイケル・ジャクソンとドナルド・トランプとの友情について触れるのは、これによって何も政治的な議論を巻き起こそうというわけではなく、マスメディアによる歪曲と捏造によって描かれてきたマイケル・ジャクソンの生涯の、もうひとつの側面に光を当てようと思うからだ。ただしここで取り上げるマスメディアの問題は、マイケルに対する不当な扱いよりも、むしろドナルド・トランプに対するものである。というのは、メディアは何かというと、トランプがキング・オブ・ポップに近寄ったのは、ひとえに自己顕示とPR目的のためだ、と主張してきたからだ。以下に述べるようにドナルド・トランプは、マイケル・ジャクソンとは真の意味での友情によって結ばれていると感じていたのだ。また彼は、 1993年と2003年にマイケルに対して行われた根も葉もない言いがかりが、とんでもない噓だと認識していた。とりわけ彼は、数え切れないほどのネガティブな、そして中傷的なメディア報道にもかかわらず、マイケルを公然と擁護した数少ない著名人の人であった。ドナルド・トランプは米合衆国の大統領としてしきりにマスメディアを「フェイク・ニュース」だと非難するが、それには前歴があり、彼の大統領選挙や大統領就任から始まったことではない。

 一般に知られているところによれば、マイケル・ジャクソンとドナルド・トランプが初めて出会ったのは1987年のことである。このことを証拠づけるものとして、1987年末に書かれたドナルド・トランプ自筆のメモがある。

1987年12月
マイケルへ─
君の友情に心から感謝する。君との友情は、私の人生をとても素晴らしい
ものにしてくれた│いつまでも長続きするように──

ドナルド

 彼が初めてライブステージでマイケル・ジャクソンを観たのは年月、ニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンでのバッド・ツアーのつのコンサートのつであった。そのとき2人は舞台裏で会った。

 1990年、彼はマイケル・ジャクソンを、ニュージャージー州のアトランティックシティにある豪華なカジノ付きホテル、タージ・マハール(部屋数室1250室!)に招待し、マイケルはそれに応じた。豪勢なオープン祝賀会は1990年4月6日金曜日に行われた。

 マイケルは次の訪問先として、死の病の床にある歳のライアン・ホワイトの病院を計画していた。生まれたときから血液の病気にかかっており、輸血によってエイズに感染してしまったライアン・ホワイトは、1985年にエイズと診断されて以来、エイズ患者に対する差別と戦う運動家として活動していた。当時、エイズ患者たちはまるでペスト患者のように忌避された。マイケル・ジャクソンは1988年にライアン・ホワイトのことを聞き知り、やがて2人は友人となった。
 4月8日(棕櫚の主日)の夜、マイケルはライアン危篤の知らせを受けた。夜中の1時に彼は電話口でライアンの母親に、できるだけ早く出発して翌日には会えるようにすると約束した。しかしアトランティックシティ空港で、マイケルはライアン死亡の報に接することになる。ドナルド・トランプは本来ニューヨークに戻る予定だったが、その場で計画を変更し、ショックを受けているマイケルに付き添うことを決めた。2人は一緒にインディアナポリスに飛び、そこから車でホワイト家に急いだ。ドナルド・トランプは母親にお悔やみを伝え、そのまま辞去した。彼自身は招かれておらず、ホワイト家の人々とは知り合いではなかったからだ(彼がそこへ来たのは、友人であるマイケル・ジャクソンに付き添うためだった)。
 ライアン・ホワイトのもう人の著名な支援者は、エルトン・ジョンだった。彼はライアンが死んだときにそばにいて、4月11日の葬儀では「Skyline Pigeon」を歌った。この葬儀にはマイケルも参列し、教会ではライアンの母親の隣の席に座った。それに続く数カ月間、マイケル・ジャクソンは精力的にアルバム『Dangerous』の制作に取りかかった。ドナルド・トランプとは1992年、デンジャラス・ツアーのスタート直前にニューヨークで再会した。マイケルの妹のラトーヤが報告しているように、彼女の横暴なマネージャーが、1992年から1993年の間に、トランプを通じてマイケルに近づこうと試みたが、頑として断るトランプには歯が立たなかった。

 1993年には根も葉もない児童虐待の言いがかりが喧しくなったが、このことによってドナルド・トランプのマイケルに対する友情が変わることはなかった。マイケルがニューヨークでアルバム『History』に取りかかったとき、彼は(1994年3月から12月まで)トランプタワーの豪華アパートメントを間借りした。ドナルド・トランプと彼の家族が住むフロアーのほんの数階下のフロアーだ。このころマイケルはトランプに、新しい恋人のことを打ち明けている。リサ・マリー・プレスリーのことだ! そして彼は、フロリダのパームビーチにあるトランプのパラダイスのようなホテル施設マララーゴでリサ・マリーと一緒に過ごしたいのだが、と訊いた。この秘密の婚約の会合は実現を見た。そしてマイケルはリサマリーと─世界中のあらゆるメディアから守られて─丸々週間、トランプのホテル施設で過ごすことができたのだ。このことからも、どれほどマイケル・ジャクソンがドナルド・トランプを信頼していたかがわかるし、明らかに彼は信頼に値する人間だったのだ。他の多くの人間であれば、メディアに秘密を漏らす誘惑にかられるだろう。キング・オブ・ポップが婚約者と、キング・オブ・ロックンロールの娘と、俺のホテルにいるんだぞ! これぞ、当時としては大衆が喜ぶ世界でも最高のストーリーだっただろう。だがドナルド・トランプと彼のスタッフは、まさにそのようなプライバシーへの腹立たしい侵害から人を守ったのだ。マイケルとリサ・マリーの結婚式(1994年5月26日ドミニカ共和国)も同様に秘密裏に執り行われた。



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