自分の正しさで他人を測ることについて
こんばんは。話したいことがある日に限って、友人たちには予定があって孤独を感じる時、あるね。絶賛そんな感じなので、今日は書いている。
というか、本当に最高だね。書いている時だけは、やっぱり自由を感じる。
森の中にいるみたいな静寂。
「その人に何か一つだけ良いところがあれば、それで十分。」
これは私が高校の時から大好きな鷲田清一さんが朝日新聞のコラムに書いてた誰かの言葉。私は、「あなたこれもできないようじゃダメだよ。」って言われたら、全否定されたような気持ちになってしまうんだけど、一個できたらそれでいいって、なんて素敵な言葉だろ。
社会人になって思うのは、できて当たり前のハードルがなかなかに高いこと。
礼儀とか、締め切りを守るとか、協調性とか。多分世間的に当たり前で、基礎の基礎と思われていること。どれか一つだけじゃダメなの。本当に。不思議なことに。できている人ももちろんいると思う。それは素晴らしいことだと思う。でも、それがなかなかに難しいんだ。だって私は自分のスピード感でやってしまうから。でも、例えばそれを好きな人に対してもできるか?と言われると、絶対できない。カッコイイところを見せたくなる。好きな人にだけは、素敵な女の子でありたい。好きだから。
そう考えると、私は好きな人にがっかりされる女にならないために、締め切りを守り、自分のスピードをもう少しだけ、周りに合わせることができるかも。。
でも、それと同時に思うことは。
果たして、それは私が自分のスタイルを変えて合わせることで崩れてしまわないか?そこが不安になる。だから、私にがっかりする男はただそれだけの人で、私と同じ考えの人でさらにそれを認めてくれる人がいたら、それは本当にラッキーなことだとも思う。
もちろん、楽をして認めてもらうのはただの甘えだと思う。そのままを好きになって、はさすがに誰も何も感じないと思う。だから、私なりの信念を持って、努力して、そしてそれを好きになってくれる人がいたらハッピーだし、それで仕事を頼みたいって思ってもらえたら、それは最高だと思ったり。
最近、毎週欠かさず植物に水をあげている。私にも思いやりの気持ちがあるじゃんって思った。一回枯らしそうになったからね。
だから、他人に迷惑をかけることはしたくない。罪悪感の中で作るものって最悪だし、その不純な気持ちが混ざったものって、なんかやっぱりそれだけのものにしかならないと思うから、良いものを作りたい気持ちをなんとか死なせないようにこれからも頑張るよ。
おやすみ。
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