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K子が遺してくれたもの

 体の奥で振動がする。
 ブル、ブルルル……
 小さく、かすかなエンジン音。
 でも、たしかに聞こえるのだ。
 心臓の鼓動に伴走するかのように――。

「こんばんは。今ええん?」
 10月初め、友人から電話があった。時刻は夜の8時過ぎ。
「ええよ。どしたん?」
 彼女は関西在住で私は九州。なのに会話は広島弁。34年前広島の大学で出会い、現在に至るからだ。コロナ禍で数年会っていないが、電話やラインで互いの近況は把握している。

 いつもならしょっぱなからおもろい話で笑わせてくれる彼女。だがその日は違った。声が重く、沈んでいる。

「あンな、高知のK子が亡くなっとったんよ。半年も前に……」
「えっ!?」

 絶句した私。あまりに突然すぎて、ポカンと固まってしまった。

「昨日久々にK子へ電話したらご主人が出られてな。3月初めに病院へ緊急搬送されて数日で息を引き取ったらしい――癌じゃったんと」
「う、嘘じゃろ……」

 K子も大学の研究室仲間。専攻で分けられた教育学部では、4年間を同じ顔触れで過ごす。私たちM研は1学年15名ほどの弱小研究室だった。

 昭和ラストの新入生は男子4名、女子9名。個性豊かな面々の中で、とびきり元気で目立っていたのがK子だった。

「おまん、〇〇知っちゅうが?」
「そうだがやきぃ~」


 独特のハスキーボイスで、機関銃のようにぶつけてくる高知弁。出会った当初はビビッたが、情熱的で好奇心旺盛で面倒見のいい姐御肌。勉強をはじめサークルやボランティア活動も人一倍熱心で、学部祭や研究室行事でも中心的存在。大学の駅伝大会に出ようと言い出し、女子でたすきをつないだこともあった。

 そう、細身で小柄ながらエネルギーの塊だったK子。リスのような黒い瞳をくるくるさせ、つねに先陣を切って走り、陽気に豪快に笑っていた。
 最後に会ったのは――ええと、彼女の高知での結婚式? いや、別の子のときだっけ。10年前の同窓会は欠席だったし、ここ数年年賀状が届かず気にはしていたけど、まさか……。

 次々と溢れ出す彼女との思い出。でも浸ってばかりはいられない。友人と手分けし、研究室仲間へ連絡を入れることに。

「ええっ、嘘じゃろっ!?」
「信じられん。一番パワフルだったあの子が……」


 日本各地に散らばる、50代のおじさんおばさんとなった仲間たち。先輩後輩も含め、一様にショックを受けていた。
 そう、二度と戻れぬ青春時代。研究室の集合写真をパズルにすれば、中央には間違いなく笑顔のK子がいる。その貴重なピースが欠けてしまったのだ。みな同じ喪失感を味わっているに違いない。

 そのときだ。体の奥でエンジンがかかった。

 ブル、ブルルル……

 そして腹の底から、何やら熱いものがマグマのようにせり上がってきた。
 言葉にならぬ想い。
 K子のために何かをしたい!!
 でも何ができる?


 死後半年も経ってからのご仏前や花は遺族の負担になるだろう。来年有志で高知へ墓参りに行き、お供えさせてもらおう。みなとそう決めたが、コロナの状況次第なので見通しが立たない。ならば――

 閃いたのは、超アナログ手段。

 翌日郵便局へ走り、往復葉書をまとめ買いした。連絡先のわかる仲間全員分。それら1枚1枚に手書きで文章をつづり、「K子へ明るいメッセージを送って」と依頼した。返信葉書の宛先には彼女の住所と名前。裏面の隅にはとぼけたキャラクターのシールを貼り、書き足した吹き出しには深紅の1文字。通し番号順に葉書を並べれば、『K子 楽しい思い出をありがとう! M研一同』のメドレーメッセージになるように。

 こうして、全部書き上げるのに3日かかった。
 さすがに右手が「イテテ……」
 その間、ひらすら振動し続けたエンジン。

 ブル、ブルルル……

 全員分の往復葉書をポストへ落としたとき、その音は最高潮に。

 ブルルル、ブロロ~ッ!!

 そして――ピタリと停止。
 見上げた秋空は青く澄み渡り、私の心も凪いでいた。

 そう、1枚ずつ葉書をしたためる間、私はK子と対話しているような錯覚を覚えた。

「K子、あんた突然逝ってしまうんじゃけえ! せめて声だけでももう一度聞きたかったよ」
「ハハハ、ごめ~ん」
「誰にも病気のこと言わんで……けど、分かる気もする。同情されるの嫌いじゃったもんねえ、昔から」
「へへへ」
「みんな心底さみしがっとるよ。来年高知へ会いに行くけえね」
「待っとるきぃ」

 1枚仕上げるたびに、さみしさや喪失感が和らいでいく。若くて元気いっぱいのK子の笑顔が、ともに過ごした数々の思い出がじんわりと胸を温め、気づけばほほえんでいた。

 ただ、心配したのは葉書を受け取った仲間たちの反応。青臭いアナログ的やり方に眉をひそめ、無視する人もいるかも……。

 ところが――全員快く賛同。K子へそれぞれの想いをつづり送ってくれた。電話やメール、手紙で嬉しい反応も。

「あの頃の写真を探して貼りつけました」
「来年のお墓参り、絶対参加するけえ」
「K子がSNSしてたよ。のぞいてみんさい」


 K子、仲間たちの肉筆メッセージを読んで、天国で笑っているだろうか。そうだといいなあ。

 ちなみに体の奥のエンジン、消えはしなかった。
 時々、ふいに動き出すのだ。
 日々の生活で、やるべきことが億劫になったとき。
 家事、仕事の工夫、勉強、人づきあい……etc。
 嫌なことで落ち込んだり、誰かを妬ましく思えるときにも。

 ブル、ブルルル……

 そのたび、ハッとさせられる。
 これは、K子からの叱咤激励なのかも。

 「一日一日を丁寧に、精一杯生きんといかんぜよ!」

 彼女が私へ遺してくれた《生》へのエール。
 さあ、エンジン音に励まされ、今日も頑張りますか。
 友のいる空へ向かって、うなずく私だ。

#エンジンがかかった瞬間 #エッセイ

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