夢なら覚めて〜別冊:夫と家族の闘病期

陳腐だ。安直だ。短絡的だ。分かりやすすぎる。ベタだ。

病気がわかった途端、食生活を見直し生活習慣を見直そうとする。病気の宣告を受けた本人を不憫に思う……は二の次、先ずは金銭面の心配。薄情だなーーーっと思うが、これが真実。一家の稼ぎ手を失うのだ。当然の心理でしょう。お許しを。

口の中が渇く。みぞおちのあたりが落ち着かない。頭がぐゎんぐゎんする。呼吸がしづらい。眼球が動く。手が震える、足も。そして押し寄せる不安と恐怖。
違う!おかしい。私は当事者ではない。夫だ。なのにどうして私の方が動揺を隠せない?私が泣くのはおかしい。順番が違う。順番?筋が違う。筋?泣きたいのは私ではなく夫の方だろう。泣く?どうして泣く?な・に・ゆ・え、泣くのだろう。

病名告げられて、それで?そこから?
お金の不安。症状の進行、変化の不安。生活が変わることへの不安。不安なのか? 分析しながら、よくわからない感情が押し寄せてきて雰囲気で盛り上がる。そう勝手に、悲劇に仕立て上げようとしているではないか。

警告。これは警告なのだ。
これまでの人生のリセットのチャンスを頂いたということだ。そう考えると病気は有難い。そう、チャンスを与えられたのだ。ピンチはチャンス!ベタだけど、本当にそうなんだ。

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