分かりません

ドクター阿修羅と六ヶ月ぶりの再会。マイクでドクターが夫の名を呼ぶ。待合からいざ診察室へ。夫、椅子から立ち上がるのに一度で上がりきらず腰を小さくバウンドさせている。「ゆっくりね」と声をかけ、奥の診察室に目をやると先生に立ち上がる気配あり。小走りで診察室を覗いて「ゆっくりですけど歩いてきますからちょっとお待ちを」                ドクター「え!」           わたし「歩いてきます。杖と装具つけてますけど」やはりひどい出血だったのかと改めて思う。

脳神経外科医というのはたいていすっきりしている。容姿の話ではない。わたしの脳内を見せてくれた脳神経外科医しかり、このドクター阿修羅しかり、残響みたいなものがない。そういう医師が驚くと、とても良い音がする。

わたし「先生、夫は最近になって麻痺側右半身のしびれがひどいのです」     夫「足の指先のしびれは二ヶ月くらいの頃から出始めその頃から足が動きだしました」                 夫が喋るとドクターが目を見開いて身を乗り出した。話し続けていた夫、失語が出始め呂律も怪しくなってくると自分で「まあそんなところです」とドクターにバトンを渡した。ドクター姿勢を戻して「うーん。六ヶ月頃からしびれの症状が出る患者さんは多いです。でもなんでかは分かりません」                 わたしは恍惚となる。分かりません。分かりません!分かりません!!なんて素敵な響きだろう。

輪切りの脳のMRI写真を差しながら「ここが脚、この辺が右手。だから、右手は動きがよくないでしょう。だいたい六ヶ月で症状は固定します。今後そう目覚ましい回復は見込めません。介護認定を受けては?」わたし「先生、ちなみに言語はどの辺が司ってますか」             ドクター「こっからこうで、ここで表出。うーん」               わたし「なるほど」          聞いてよかった。ドクターのペン先は思いっきり夫の損傷部を通過したのだ。どうして夫は喋っているのだろう。歩いているのだろう。分からないのだ。

うん。奇跡は捏造してでも多い方がいい。



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