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【待つ】ありがたみ

【朋有り遠方より来る また楽しからずや】

肝胆相照らす、切磋琢磨し合える仲間が
遠方から会いに来てくれる。
何と嬉しい事だろう。

有名な論語の一節である。
この一文、時間の奥行きを感じさせてくれる。
友人が遠方にいて、
『次はいつまた会えるだろうか』
再会を待ち望んでいた時間、その長さまで感じさせてくれるのだ。

近頃、待つことが少なくなったな
そう感じる。

読みたい本は、クリック一つでKindleに配信され、
着たい服はスマホ一つで翌日届く。
空き時間はスマホに目を落とし、
遠方の友人とはLINEグループでやり取りし、
「最近どう?」と聞くことはあっても、
「最近どうなのかな。元気かな」とよぎることはない。

どんどん待つことがなくなり、
どんどんイベントや買い物の頻度が増え、
どんどん時間やお金を浪費するのではないか。
バートランド・ラッセルが幸福論の中で説いた
【実りある単調さ】
その真逆に行きかけている自分が怖くなった。

先日、家族三人揃って新型コロナ陽性になった。
幸いにも、三人共に快復し、
特に後遺症もなくその後の生活が送れている。

療養期間中、
私はPCで会社とやり取りしながら仕事をし、
息子はタブレットで、先生がアップして下さった
その日の授業の内容を見て、勉強していた。

自分が陽性になって初めて知ったのだが、
自宅療養者向けに、
自治体が宅食サービスを提供してくれた。
中身は、
・パンが2種類
・さとうのごはんが2つ
・レンジで調理できるお惣菜
(ビーフシチューや甘酢かけ等)
・お茶とアクエリアスの500mlペットボトル
・デザート用ゼリーが2つ

これが非常に有難かった。
食事や飲み物が手に入ることはもちろんの事、
『今日の宅食の中身はなにかな~』
と、三人で楽しみに待つことが出来た。
ともすれば退屈な療養期間に、
【待つ楽しみ】を与えてもらい、
穏やかに三人で過ごすことが出来た。

バートランド・ラッセルが幸福論で提唱した
【実りある単調さ】

歴史に残る書物や映画には、
必ず退屈な部分がある。
また何か大きな物事を成し遂げるとき、
人生においても、
必ず停滞するときが来る。
その退屈や停滞の向こう側に、幸福がある。
それを表現した非常に美しい言葉だ。

テクノロジーの進化は、人を便利に幸福にする。
反面、【待つ】能力が、どんどん人から奪われていく。

効率化やデジタル化は、
『限られた時間内に、進化したテクノロジーを使って如何に多くのアウトプットを出すか』
それは、とても大切なことだ。
一方で、
停滞した時間、退屈な時間、
その単調な時間を、穏やかに過ごす能力
それもとても大切
それをもう一度取り戻そう。

そう感じた、療養期間。
待つことの有り難みを、宅食から教わった。


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