感想:ウソつき!ゴクオーくん

『ウソつき!ゴクオーくん』は別冊コロコロコミックで2011年10月号 - 2021年10月号に連載していたマンガである。

八百小学校に転入してきたゴクオーくんが、学校や学校外で起きた事件を「ウソ」で解決する物語。
ゴクオーの正体は初代閻魔大王・地獄王。彼の正体を知る小野天子、ガキ大将・番崎竜丸、刑事の息子・形銭千十郎などの個性豊かなクラスメイトや、彼の閻魔大王としての部下であるバトラーや地獄長が登場する。

普段の一話完結型ストーリーと並行して、何回か地獄または天国から現れた敵が登場し、ゴクオーが彼ら相手に閻魔大王として戦うメインストーリーもある。

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『ウソつき!ゴクオーくん』を読んだ。
率直に言ってめちゃくちゃ面白かった。

○ゴクオーくんのストーリー

主人公・ゴクオーは八百小学校に通う小学生。しかし、その正体は地獄を治める初代閻魔大王である。

ゴクオーはクラスメイトたちに頻繁にウソをつき、相手がひっかかれば「ウソだよ〜!」と言い放つ。
一方で誰かのウソを暴き、閻魔大王としてウソを裁いていく。
この「ウソつき主人公」というアンチヒーローであり、「ウソを裁く執行人」という二面性がキャラクターとして奥深い。

『ゴクオーくん』は基本は1話完結型だが、構成が上手く、メリハリのある展開になっている。

各話においてウソつきが登場し、なにかしらのウソをつく。
それをゴクオーが暴いていくのだが、話数をまたぐことがなく、1話のうちに解決していくのがほとんどだ。
また、嘘には必ずヒントがあり、紐解いていくことでウソを暴くが、その伏線の張り方も巧妙で回収も上手い。1話ごとが非常にいいテンポで進んでいく。

伏線はストーリーにも全体にも広がっている。

例えば、ゴクオーは人間のことを知るために現世にやってきたが、「何故人間について知りたくなったのか」についてもちゃんとした理由がある。
それはストーリーが進むごとに経緯が明かされるが、その前から既に伏線が張られており、回収と共に理由が明かされる。

他にも、何気ない会話のなかにも伏線が隠されていて、ストーリーが進むとそれが回収されていく。
全体がしっかり構成されていて、よく計算されていないとできないストーリー展開だと思う。

○ゴクオーくんに出てくるウソつきたち

主人公・ゴクオーの設定も面白いが、その他のキャラクターたちも非常によく作られている。
ヒロイン・小野天子や、クラスメイトたち、ゴクオー以外の地獄の住人や天使たちにも、各々の背景がある。

なにより、毎話現れるウソつきのキャラクターについても奥深い。

保身や自己弁護、悪意からウソをつくウソつきが多いが、中には言い訳や誤解からウソをつく者もいる。
基本的には、ゴクオーによってウソが暴かれた場合、ウソつきは焦ったり悔しがったりするリアクションをすることが多い。
だが、暴かれることでゴクオーに感謝するウソつきもたびたび出てくる。

ゴクオーに「ウソのつけない舌」をつけられると、矯正的にウソの理由が明かされる。
悪意のないウソつきにとっての、ウソは心の弱さだったり、誰かを喜ばせるためだったり、事情があったりと、悪意によるものとは限らない。
それらが暴かれることによって、「ウソをついた」という罪悪感から解放される。

つまり、ゴクオーのウソを暴く行為は、罰を与えているのだけではなく、救済している面もあるのだ。

そして理由に同情した八百小学校のクラスメイトたちが、協力して一緒に原因を克服しようとするシーンもたびたびある。
いわゆる「モブキャラ」である各話のウソつきたちにもドラマがあって、その一人一人が徐々にストーリー全体を担っていく。

○ゴクオーくんと人間

『ゴクオーくん』には、閻魔大王であるゴクオーと敵対するキャラクターも出てくる。
大天使のユーリィ、二代目閻魔大王を狙うサタン、神候補のネクストなどの日常の水面下でゴクオーと争う者たちだ。

しかし、彼らも人間と交流するにつれて、その心を理解して成長していく。

ウソが暴かれることで救済されるのは、人間だけではない。天国や地獄の者もウソをつき、それが暴かれることで改心する。
しかし、そのキッカケはゴクオーではなく人間だ。
ゴクオーは人間の心を動かすが、人間界ではない者は人間によって心を動かされる。

世界に影響を与えるのはゴクオーに留まらず、ヒロイン・小野天子やそのクラスメイトたちから、全ての世界に波及していく。

一つの小学校とその周辺から始まって、物語が人間界をとどまらずあらゆる世界に大きく広がっていくのは、長期連載ならではのダイナミックさだった。

○ウソは悪?それとも善?


ウソは一般的に悪いイメージがあり、正直であることが善であるとされる。
しかし『ゴクオーくん』では、ウソの悪い面と良い面を使い分けていて、ウソに対して一面的な解釈をさせない。

何故悪いウソと良いウソが存在するのか。
それは人間が弱くもあり、強くもあるからだ。

どんなに怖くて辛い場面でも「大丈夫」とウソをつく人間もいれば、弱さゆえに自分を守る一心でウソをつく人間もいる。

つまりゴクオーくんは、ウソを通して人間の多面性を描いている。

ウソは悪、人間は悪、これは善であれは悪といった、二元論的な解釈はしない。
さらに言えば、良い人や悪い人、この人は○○あの人は××といった決めつけを許さず、本質を見てウソを暴いていく。
そして、一度はウソをついて誰かを騙したとしても、自分の心に向き合うことで改心すれば、仲間が一緒に乗り越えていこうとしてくれる。

現代の情報社会においては、断片的な情報で一方的に糾弾することは頻繁に起こりうることだ。
しかし『ゴクオーくん』では、ウソをつき、ウソが暴かれる過程を通して、自分の弱さを乗り越えるのチャンスが与えられる。

弱くもあり、強くもあるという多面的なところこそ、人間らしさであるという教えてくれる。
これは現代において、必要な心構えなのかもしれない。

最後になるが、『ゴクオーくん』はきっと人間讃歌の物語なんだと思う。
悪にも善にもなり得る人間の危うさと、それを乗り越えられる強さがあることが、人間なんだという。

本当に、面白かったです。

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