25歳。

25歳という節目の年を迎え、
自分は何を思うだろうか。

そんなことを思いながら過ごした1年だったが
いざ迎えてみれば感情や人生観に大きな変化はない。

人生とは何か
という問いは日々の労働により考えることすらなくなり
どう生きようか
ということもなんとなく考えることを避けるようになった

何か自分にしかできないことがあるかもしれない
という想いは錯覚だと思うことで気持ちを鎮め
今目の前のことを必死にこなそう
という気持ちだけを大きくしている

何者かになる必要はないのだ
といいきかせ
目の前の幸せを探そう
とする者を斜めに見る者に嫌悪感を抱く

自分が1番愚かであると認識することを恐れ
そうでないことを祈ることしかできない日々
立ち止まると自分を見失い
歩き出せなくなる不安が頭をよぎる

これも25年生きたから至った思考であろうか。
社会という歯車にはめられたあとの生き方ほど難しいものはない。

正解がないからこそ、至難だ。

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