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メロンクリームソーダとおじいちゃん。

メロンクリームソーダ、その姿を目にするたびになんて完成された飲み物なんだろうと、わたしは惚れ惚れしてしまう。

山奥の清流の如く透き通って煌めくエメラルドグリーン。そこに浮かぶ、ころんと丸い優しい乳白色。
頂上に乗っかるのは、不自然なほど艶やかな赤色のシロップ漬けサクランボ。

グリーンと乳白色の爽やかな色合いを、この赤色がきゅと全体を引き締めて、魅せている。

メロンクリームソーダをいただくとき、わたしなりの作法が存在する。

まずは、ストローで底からメロンサイダーを吸う。しゅわ、と口内で弾けるぴんと張りつめた刺激が喉を颯爽と滑り落ちる。
おそらくメロン果汁なんて含まれていないだろうけれど、これはメロンなのだ、ともはや刷り込まれている主張の強い甘さ。

その後に、従来のよりも少し柄が長いシャープなスプーンで、柔らかな輪郭の乳白色をこんもり一口分すくう。
ひやっとしていながらもほわっと柔らかく口内を満たすミルク感。先ほどとはうってかわった、まあるい甘さに心がほどける。

このアイスクリームがミルク感の強い正統派バニラだと、あ、このメロンクリームソーダは当たりだ、とわたしはうれしくなってしまう。

柔らかな甘さに満たされた口内を、サイダーの刺激で押し流すようにまた底からストローでエメラルドグリーンを流し込む。くっきりしたサイダーの後には、またひと掬いの乳白色を。

気の済むまで、種類の違う甘さを往復したあと、ゆっくりとそれぞれの世界をかき混ぜる。鮮烈なエメラルドグリーンから徐々に柔らかな薄緑へと染められていく様は、毎回なんともなしに眺めてしまう。

混ざっていい頃合いになると、とがった爽快感がミルク成分と混ざり合うことで、その鋭利さがすっかりなりを潜める。

わたしはきりりと炭酸の強いメロンソーダよりも、少しまろやかさを含んだメロンソーダの方が好きだ。

間のどこかのタイミングで、真っ赤なサクランボにも手をつける。メロンサイダーのように、こちらも本来の果物とは違う、いかにも人工ものの甘さなんだけど、このチープな甘さもまた愛おしい。


わたしのメロンクリームソーダの1番古い記憶は、就学前、祖父と喫茶店で飲んだものだ。

椅子に腰を下ろすなり、祖父はメニューも開けず早々に、自分の珈琲とわたし用の「メロンクリームソーダ」を注文した。
え、わたし何も言ってないよ、の気持ちを込めて祖父を見やると
「子どもはメロンソーダや。」
と言った。ええ、メニューを見て選びたかったなあ…と不服に思ったが、目の前にでんとメロンクリームソーダが置かれると、それがあまりにも輝いて見えて、先ほどまで抱いていた気持ちはすぐさまどこか遠くへ流れていった。

エメラルドのように鮮烈なグリーンに、ころんと丸い形になったバニラアイス。確かそのときは、上に色とりどりのチョコレートのカラースプレーも降りかかっていた気がする。

夢のように美味しくて、「これは特別な飲み物なんだ。」と幼心に強く思った。
今でもメロンクリームソーダになんだか特別な思いを抱いているのは、このときの第一印象のインパクトの面影が、今もわたしの中で息づいているからかもしれない。

しかしその一方、とても不思議に思っていることがある。

祖父、と聞いていつも思い浮かぶのは、彼の家の応接間の奥のゆったりした一人掛け用ソファーか二階の自室の日の当たる窓際に置かれた特等席に座り、テレビを見ているか新聞を読んでいる姿。
祖父は、買い物や図書館など必要最低限以外、外へ出歩くのが好きではなかった。

どこかへ一緒に出かけた記憶もないし、喫茶店にいる祖父なんて、なんだか想像もつかない。
そして、喫茶店で祖父と何を話したのか、なぜ喫茶店に行くことになったのか、そしてそこはどこなのか、誰か他にも一緒にいたのか、などメロンクリームソーダ以外、何一つ思い出せないのだ。

もしかすると、祖父にメロンクリームソーダをご馳走してもらったのは、もはやわたしの夢か妄想だったのかとさえ疑うことさえある。

祖父は、とうに天国へ旅立ってしまったので、本当に一緒に喫茶店に行ったことがあるのかどうかは、今となっては確かめようがない。

けれど、数少ない祖父との思い出の一つとしてメロンクリームソーダを眺めるたびに、無口だったけど彼なりの方法で孫を愛してくれた祖父に思いを馳せている。


#メロンクリームソーダ
#喫茶店

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