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やるか、やらんかは気持ちの問題

関西のお盆は一般には8月13日に仏さまをお迎えし(宗派によっては12日から)15日にお送りします。そして、16日が地蔵盆と五山の送り火。この一連でお盆が終了です。

上記が普段のお盆なのですが、初盆を迎える場合は少し違っています。

今年、初盆を迎える新しい仏さまのことを「あらたなさん」と言って、そのお宅へのお盆参りは、いつもより少し早くなります。

今日は、やっと13日。あらたなさんの家にお参りに来てくれる方は多分昨日で終了。一仕事終えた気分です。

我が家のあらたなさんは、享年64歳でした。若いと言って皆さん驚かれます。

お参りに来てくれた方は皆さんご年配の方々で、中には親子ほど年上の方もいらして、その方々は流石にショックを受けられます。

自分よりも子供に先に死なれたと想像するだけで、胸が張り裂けそうな気がすると同時に、子供と同じ年齢の人が亡くなったと言うことは、自分はいつ死んでもおかしくないのだとつくづく思った。とおっしゃられました。

「いいえ、いいえ。そんなこと仰らずに100歳までお元気でいてください。」

と、わたしは答えるのですが、それに対して返ってくる言葉は、以下の3つでした。

「そうやね。この人の分まで頑張って長生きせなあかんね。」

「わたしは、そないに長生きしとうないねん。」

「いつお迎え来ても不思議ない年やのに、この婆にお迎え来んと、こん   な若い人にお迎え来たんやな。
わたしは、お迎えはいつ来てくれてもええと思うてる。ここで、こないして、ええお迎えを待ってる者いてるのに、何でこの子にこないに早うに来たんやろな。」

一見、違うことを言っているように見えますが、3者共同じことを言ってるような気がします。

80代、90代の方が、この酷暑の中、日傘を差してお参りに来てくれたのです。本当に100歳のセンテナリアンも夢ではないかもです。そんなにお元気なのに、彼女たちは命の期限を意識しているから上記の言葉が出たのでです。

もし、明日骨折したら?もし、明日コロナに感染したら?コロナでなくて単なる風邪でも罹ってしまうと、どうなってしまうかわからない。

いきなり亡くなっても十分不思議でないが、場合によっては、今日までとは全く違う人生を生きることになるのだと思うと、自分の命が尽きることを常に意識せざるを得ないのでしょう。


お参りに来てくださった中で最高齢が、間もなく92歳になる方です。

コロナの蔓延で外出することが少なくなったので、俳画を始められたのだそうです。

本当は習いに行きたかったのだが、教室はどこも閉鎖。(教室といっても、近所の公民館でタダ同然で教えてもらえる教室。)仕方ないから、俳画入門の本を買って、その教則に従って始めたのだそうです。

わたしは、「おばちゃん、えらいわ。」と言うと、

「あんたも、介護が終わったんやから、何かしたいこと始めたらええわ。」と言うので

「まだまだ、忙しいからもうちょっと先かな?」と言うと

「あんたは、明日も明後日も生きてると思ってるやろ。そやから出来ひんねん。この婆は、明日死ぬかも知れんと思ってるからできるねん。明日死ぬかも、て思うたら何でもできるねんで。」

と言われました。

逆に言うと、明日死ぬと思っていなければ、なかなか実行できないのだ、ということです。

今やる、今やらんは気持ちの問題やで。と言いながら婆はお茶をすすりました。

若さへの甘えですね。いくつになっても若さに甘えるのは、もはや怠慢に違いない。

実行できない、1段目の積み上げがなかなかできない わたしに課題を与えて、婆は帰って行きました。

#積み上げ
#婆の課題

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