サバイバル⑥
わたしが大地を据えたとき
お前はどこにいたのか。
知っていたというなら
理解していることを言ってみよ。
誰がその広がりを定めたかを
知っているのか。
誰がその上に測り縄を張ったのか。
基の柱はどこに沈められたのか。
誰が隅の親石を置いたのか。
そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い
神の子らは皆、喜びの声をあげた。
海は二つの扉を押し開いてほとばしり
母の胎から溢れ出た。
わたしは密雲をその着物とし
濃霧をその産着としてまとわせた。
しかし、わたしはそれに限界を定め
二つの扉にかんぬきを付け
「ここまでは来てもよいが
越えてはならない。
高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。
ヨブ記 38:4-11 新共同訳
大地は粘土に型を押していくように
姿を変え すべては装われて現れる。
しかし、悪者どもにはその光も拒まれ
振り上げた腕は折られる。
お前は海の湧き出るところまで行き着き
深淵の底を行き巡ったことがあるか。
死の門がお前に姿を見せ
死の闇の門を見たことがあるか。
お前はまた、大地の広がりを
隅々まで調べたことがあるか。
そのすべてを知っているなら言ってみよ。
ヨブ記 38:14-18 新共同訳
光が住んでいるのはどの方向か。
暗黒の住みかはどこか。
光をその境にまで連れていけるか。
暗黒の住みかに至る道を知っているか。
そのときお前は既に生まれていて
人生の日数も多いと言うのなら
これらのことを知っているはずだ。
ヨブ記 38:19-21 新共同訳
お前は雪の倉に入ったことがあるか。 霰の倉を見たことがあるか。 災いの時のために 戦いや争いの日のために わたしはこれらを蓄えているのだ。
ヨブ記 38:22-23 新共同訳
誰が豪雨に水路を引き 稲妻に道を備え
まだ人のいなかった大地に
無人であった荒れ野に雨を降らせ
乾ききったところを潤し
青草の芽がもえ出るようにしたのか。
雨に父親があるだろうか。
誰が露の滴を産ませるのか。
誰の腹から霰は出てくるのか。
天から降る霜は誰が産むのか。
水は凍って石のようになり
深淵の面は固く閉ざされてしまう。
ヨブ記 38:25-30 新共同訳
すばるの鎖を引き締め オリオンの綱を緩めることがお前にできるか。
時がくれば銀河を繰り出し 大熊を子熊と共に導き出すことができるか。 天の法則を知り その支配を地上に及ぼす者はお前か。
お前が雨雲に向かって声をあげれば 洪水がお前を包むだろうか。
ヨブ記 38:31-34 新共同訳
「これは何者か。知識もないのに 神の経綸を隠そうとするとは。」 そのとおりです。
わたしには理解できず、
わたしの知識を超えた 驚くべき御業を
あげつらっておりました。
「聞け、わたしが話す。
お前に尋ねる、
わたしに答えてみよ。」
あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ、わたしは
塵と灰の上に伏し 自分を退け、
悔い改めます。
ヨブ記 42:3-6 新共同訳
イスラム教のコーランには、
科学的な記述があるらしい。
ガリレオ
聖書は我々にいかに天へ行くかを教える。
いかに諸天体が動くかを教えるのではない。
聖書がこんなにも長い間、普遍的にその価値を失わないのは、聖書が『不変的な価値』を説いている何よりの証拠である。例えば聖書が、『人間の説明書』だとすればどうだ。これらすべての問題に、合点がいく。ガリレオの言葉にも、それを批判した当時のキリスト教徒の誤認も、不変的で、普遍的な価値にも全て、つじつまが合う。信仰を持ち、それを愛するのは自由だが、『過信』はどんなケースに置いても良しとされることではない。過信し、盲信した狂信者によって真実が隠蔽されることを、『聖書の根源』である神が、望んでいるわけがない。『人間というフィルター』は、いつでも判断を見誤る。
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