不寛容

私は逆に、不寛容であるもの、
自分が学んできたことから
離れられない専門家や、
一方だけを批判する活動家、
何を言っているかではなく、
誰が言っているかが大事な人、
そういうものを、
自分から切り離してゆく。

カトリックだからだめ、
コーランより聖書が正しい。
そういうことではなく、
原理主義的なものはありえない。

クリスチャンというのは、
キリストを信じて、
聖霊を受けたものなのです。

ひとりひとりが、
聖霊が宿る神殿なので、
聖地もキリストの墓も関係ない。

そう言うと、
ルールにこだわって、
教会が教えることだけを
守ってきた人には嫌われる。

自分が根拠とするルールが、
多ければ多いほど、
人は不寛容になり、
他人を切り捨てないと
保てないのだよね。

前にイベルメクチンを
処方している病院リストを、
何か共有する仕組みのアイデア…
のようなものがないかと、
書かれていたのでね。

私は医師も獣医も巻き込み、
この世の医療を変えるような、
壮大なプランを提案したところ、
その意見は完全に無視された。

それ以来、私はその人と、
絡むのはやめたのだよね。

彼が目的だとわかったから。

人って現金なのだなと、
今日つくづく思ったのだ。

今までもいいことは、
有益なことは言い続けた。
ほとんど無視されてきた。

そのイベルメクチンの人もそう、
むしろ、私はライバルなのだ。
私がなにか知らないから、
ブロックされたり無視されたり。

なにか気に触るのだろう。
そして、無邪気に言うのだ。

彼に、それは実体験ですか?とか、
この資料が必要なのですよねとか。

その答えなら私も少し知っている、
また、私が、すでに、
出したもので十分なのに。

視野が狭くて、欲が強くて、
こだわりすぎて、
いつも、またはいつか、
決定的に間違うだろう。


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