スウ・ドン剣法免許皆伝46手の内はムツカシイ?

三密だとか距離を取ってとか言われるとアフターコロナの社会で、大手を振って剣道が出来るようになるのか少し不安もあるが、考えていても仕方ない。出来るようになる事を願って、今日は手の内について考えておこう。手を使った言葉は多い。先手必勝、お手本、お手並み拝見、手直し、手習い、手引書、手詰まり、手っ取り早く、手抜かりなく、手慣れたもの、手配中、手練手管その他いろいろあるが、大体の意味はすぐ分かる。
ところが、剣道でよく使う「あの人は手の内がいい」は、説明はムツカシイ。手の内のいい人も、人に説明するにはムツカシイ部類の言葉だ。辞書には、胸中、腕前、勢力の範囲と書いてある。剣道でいう所の手の内は、腕前に当たるだろうが、単純にその一言で理解できるものではない。胸中(きょうちゅう)を見せる、自分の気持ちを見せる、手の内を見せると使うように、手は心を表す道具だ。目は口ほどに物を言っても、肝腎の仕事はできない。心がこうしたいと思ったら手が動く。何か食べたいと思ったら手が動く。目では食えない。怒った時には目や口で言うより、それこそ手っ取り早く手で叩いた方が、相手には伝わるのだが、現代はすぐに体罰といって騒ぐのでそれもムツカシイ。叩かれた体の痛みの方が心には即響くのだが。目や口の言葉で叩かれても、それ程心には届かないものなのだが。ところで、「すぐに手先に神経行かぬよう」という言葉を剣道界以外の人から学んだ。手先に神経行くとは、心が手先に集中するとか、心が手先に現れるとか言うような意味だ。陶器作り、彫刻、絵を描くなどで、作業というか仕事をしているというか、最後の仕事をしている時だ。手が仕事をする前に、心の中で考える準備段階があり、表現をする仕事を手が最後にしているということだ。それこそ、手は口よりも物を言っているとも言える。カッとなってすぐ手が出て、後から反省する人もいるだろう。先ほどの話と矛盾する感もするだろうが、そうではない、カッとなり安い人は、すぐに手先に神経行かぬと唱えておくといいだろう。なぜこんな話をするかと言うと、剣道の世界では、始めから手先に神経行ってる人が多いような気がするからだ。正中線の取り合いとか、剣先に意識を集中とか習ってきたから仕方ないのかも知れないが。剣道の場面で仕事と言えば、面・小手・胴を打つ事だろう。その前の「攻め」とかいろんな出来事は準備段階に過ぎない。すぐに手先にどころか始めから手先に力を入れているから、すぐに反応して、攻めては防ぎのお互い同じ事の繰り返しの試合が多い。何のために攻めているのか分からない。最終的には手先に神経行って、最後の面打ちの仕事をする為に力を入れる場面が出てくるのですが、すぐに行かないというのは、身体中心の動きが大事、手足は身体にぶら下がった物、身体が動くから手足が動くのだという事を理解しなさいという教えと思います。この事を知らないと、手先剣道、チャンバラ剣道になってしまいます。自分は理解できても百%伝える事はなかなか言葉足らずですが考えてみましょう。前置きが長くなりましたが、手の内の事について気付いた事があります。この事だけが手の内ではないのだが大きなポイントだろうと思う。手の内のいい剣道専門の人も、実際そうしていても、気付いている人は少ないだろう。何故かと言うと、剣道以外の人の言葉から気付いたからだ。それは、「リアルインパクト」「プレインパクト」という言葉だ。インパクトとは当たる瞬間、衝撃の瞬間の事、野球で言うとボールがバットに当たる瞬間、剣道で言うと竹刀が面に当たる瞬間、それは「リアルインパクト」という。そしてそのリアルインパクトの瞬間は力が抜けている、握り締めていないというのが大事だ。極端な言い方すると、バットも竹刀も投げ捨てる感覚の方がいい。ホームラン打ったバッターは、どちらかというとすぐにバットを離している。下手なバッター程いつまでも握って振り回している。竹刀は投げ捨てるわけにはいかないが。どこで手に力を入れるのか。リアルインパクトの前の段階、プレインパクトに力を入れる、微妙な時間の差ではあるが、プレインパクトの後はバットが竹刀が仕事をしてくれている。この理屈は、コンクリートや電信柱など固い物を打つ事を想像してみると理解し安いと思う。当たる瞬間に握り締めていると、手にそれこそビビンと衝撃が伝わって、手が痛い事だろう。手の内がいいとは、この感覚を持って打ちが出来る所にある。だから、竹刀だけの素振りより、人形とか物を打つ練習の方がいいというのが持論だ。手の内磨いて、修練し、「オー見事!」と言われる一本を打てるようになりたい。あー早く稽古がしたいなあ。