スウ・ドン剣法免許皆伝50敵を知り己を知れば?

敵を知り己を知れば百戦危うからずは、たぶん誰もが知っている孫子の兵法の言葉だ。自分のことは自分が一番よく知っている。何が出来て何が得意で、何が不得意で、いつもどんな技を研究し稽古しているか、試合でどんな技を発揮しようと思っているか。相手よりは自分のことをよく知っている。試合で出会う相手はほとんど初めての人で、どんな技が得意で何をしようと思っている人なのかは、百%分からない。戦う前には、相手の戦力を知る、相手の好み、相手のクセを知る。そして、戦略を立てる、なんとか出来る相手なのか、欺くことの出来る相手なのか、撤退をした方がいい相手なのかの作戦を立てる。昔の戦いでは、その為のスパイ、忍者、間者という者がいた。相手の情報を探る役目を果たしていた。撤退を含めて、無理をしないこと、冷静に判断する事で、危うい事にはならないよと説いているのだと思う。百戦勝つではなく、危うからずである。
なのに人は皆、試合になると、我が先の持続と主体性の発揮ばかりを先走りさせて、練習の成果を発揮しようとして試合をしているような気がする。相手の事を知ろうとしている人が何人いるだろうかと思えて仕方ない。敵を知らなければ危ういのに、孫子の兵法は知っているのにその場では忘れてしまう。まずは相手を知る手立てをする事が肝腎だ。相手の剣を叩いてみて、押さえてみて、我が剣を担いでビックリさせてみて、反応する相手かしない相手かを知り、どんな対応が出来るかを探る。ほかにもいろいろやり方はあるが、剣を殺し気を殺すと教えられるためか、自分が打つための仕掛けになっている人が多い。この行為はまずは忍者の情報収集とおんなじなんだ。もちろん情報を持ち帰って検討する時間はないので、情報収集即対応が試合の場面では求められるだろうが。この時点で、相手の半分を知ったことになる。次は相手の技の技量を知りたい。それには、相手に「打たせてみる」ことだ。打たせてみれば相手の技量はだいたい分かる。なんとか出来る相手か、とてもじゃないがかないそうな相手でないとか。打たれてみるではない。打たれたら終わるから。打たせてみるだ。大丈夫だって。人間誰しも防衛本能があって防ぐことが出来るんだ。「面を打てよ」と思っていれば、絶対に防げる。百%と言い切ってもいい。突然飛んできたボールや石にも反射出来る人間が、打ってこいよと思っている相手が打って来るそこを見切るのは、以外とと言うより簡単なんだ。昔から言われている剣道の大要点なんだけど、打とうとしているから打たれる。打たせてみようと思っていると打たれない。打とうと思っていると、手元に力が入りやすく相手の何かにも敏感に反応しがち。打とうという気持ちを無くし、「打たせてみよう」と思っていると、手元には力は入らない上に、相手の手元が見えるんだ、だから自然と防衛が出来るんだ。これが三殺法の内の「技を殺す」につながる。
剣道の基本の練習と言えば、面を打つ練習だ。もちろん大事な事だ。少し視点を変えて、「面を打つ練習」から「面を打たせる練習」として実施して、「面を打たせない練習」「面を打たれない練習」をしてみよう。百%打たれない本当に。何度も言おう!「打とう」と思うから、打とうとするから打たれるんだ。相手の技量を知り、自分の技量と比較して、かないそうにない相手には無理して戦わない。無理して行って討ち死にするよりはまだ、判定で負けの方が救われる。時間のせいで仕方ない。又、次がある。自分の技量を練り直せばいい。最近勉強した剣道のコツを、実際の稽古で実感してみたい気持ちがすっごくすっごくあるのだけれど、面マスク着けての稽古は基本を少し位しかできそうにないし、最大限の力発揮の稽古はいつになるやら…?