スウ・ドン剣法免許皆伝57素振りより素打ち

中学入学後剣道を始めた頃は、無心に素振りをしたものだ。でもだいぶ前から自分の中では「素振りより素打ち」という言葉が頭の隅にある。大素振りや8の字素振りは、肩関節や手首の柔軟性など準備運動的に大切ではある。ただ、前進後退の空間正面打ちの素振りよりは、実際に素の人形や相手が頭上に横に上げた竹刀や打ち込み棒などを打った方がいいと言うことだ。百回空間打ち素振りをするよりは、十回、物を打つ方が、正しい打ち感覚を摑むためにはいいという事だ。極端な言い方すれば、百害あって一利なし、まあ一利はあるけれど、悪いクセが付いてしまいがちだ。特に、数を決めての正面打ち素振りなど、数を追うあるいは数を数えるのが主になって、残心のない、打った余韻のない、ただ竹刀を動かしているだけの素振りになりがちだ。そしてまた、間違った右手の使い方を覚えてしまいがちだ。面とか物を打てば、竹刀は面に当たって止まる、当たった竹刀は撓ってはねる。私の若い頃の師匠は、竹刀を投げ捨てる感覚で行きなさいとか言った。投げ捨てても面部で止まるからだ。その方が強い打ちを習得出来るのだ。打つのに右手は要らない。右手を握る必要はない。右手はそこにあるだけでいい。だから、添え手と言われるのだ。空間打ちは、右手で握って持ち上げて、握って打ってしまいがちになり安い。現代剣道家の中であまりこんなこと言う人いないかも知れないが、私の一番の師匠、と言っても実際に習った訳ではなく、書物の中で師匠と仰いでいる人の言葉、前にどこかの回で書いたけれども、「五本の指を皆開く」が生きてくる。私はこれが、剣道のというか剣術の、無理無い無駄無い正しい刀の竹刀の使い方だと思っている。刀は握り締める必要は無いのだ。やんわりと指の輪っかに収めていればいい。もっと言えば、左手は柄頭の部分に、上から親指と人差し指のVの字で押さえているだけ、三本指を握らない状態、そして右手は親指以外の四本指に乗せているだけの状態でも、刀は竹刀は地面に落ちずにそこにある。そして刀が竹刀が上に上がった時は、先ほどの右手の状態と左手の状態が逆転しているだけだ。その感覚のまま軽く輪っかを作って竹刀を確保しているだけで、竹刀は自由に何処へも動かせる。指を握り締めるのは、上がった竹刀を引き落とすその時に、左手の指だけでいいのだ。その行為を思い切り強く物を打つ事が、剣技習得の大事な大事なコツである。中途半端な空間打ちは勿体ない行為とも言える。最近何度も言っているが、考えてみれば、薩摩示現流は、ひたすら物を打ち続ける稽古だったのだ。もっと早くに気付いていればよかったけれど。ああすればこうするなど、日本剣道形的やりとりなし、形ばかりの剣術練習ではなく、実物を打つ、それはそれは全身全霊思い切り打てる、実に爽快な事だ。気分がいい。腹が立ったら思い切り物を打つ、ストレス発散にもいい。いい稽古方だったのだ。
右手で打つな、右手は、当たって跳ね上がる竹刀のキヤッチを合言葉に、打つ練に励もう。