スウドン剣法免許皆伝32

「交剣知、愛・Ⅰ・eye」
大人の剣道マンは、交剣知愛の言葉はご存知だろうと思う。長く剣道を続けた人の好む言葉だと思う。剣道を理解した人には、心の和む言葉だと思う。今まで全く知らなかった人でも、ひとたび竹刀を交えて稽古をすると、即、友人になり仲間になる。あるいは、相手に防具を外れて打たれ、痛い思いをしてもカアーッとならず、自分もそういうことあるからお互い様ですよと、許せる優しさも生まれるといった意味合いを含んだ愛でしょうか。更に深読みすると、Ⅰを知る。英語のⅠ、つまり私を知る。稽古をしたり試合をしたりすることで、自分という人間は心の強い人なのか、弱い人なのか、稽古では強いが試合では弱い人なのか、上がり安い人なのか、怒り安い人なのか、人の言葉に影響受け安い人なのか、動じない人なのか、まさにⅠを知る。剣道には実に人間性が現れる。
更にまた深読みすると、eyeアイ眼がんを知る。剣道には昔から一眼二足(いちがんにそく)という言葉があるが、相手との間合い、駆け引き、拍子の取り方、相手のクセを読み取る眼力、更に、見えない心の中まで視通す眼力を育てることがまず一番に大事、二番目に大事が、視たことを活かす足の使い方を育てることですよという意味でしょうか?自分の弱さを知り、相手を視る(観察の観を使って、観ると表現もする)眼ができると剣道は強く上手くなるのでしょう。お互いに打って打たれて切磋琢磨する関係を通して、剣道の上達はとにかく相手を打たせてもらわないことには始まらない、自分の成長は相手のおかげと感謝する心が生まれるのが、交剣知愛の素晴らしい所なのでしょう。
更に深く追求すると、こんな言葉に出会います。《一勇二眼》剣道の根本(こんぽん)は勇である。眼の前に、まず勇の気がないと剣は始まらない。勇とは何でしょうか。勇という字を分解すると、マに男ではなく、舞踊の踊(ヨウ)の右側の字そのものもヨウという字であり、ヨウとは例えば、子供が遊びたくて元気溢れて、トントン足踏みして走り出したい感情、意気ヨウヨウとして、気力盛んで強い様、それに力をくっつけたのが勇、ヨウが変化してユウ、それが高まれば衝突の衝(ショウ)ヨウが変化してショウまともに直進して突き当たる。勇には、元気溢れて前へ進んで事にぶつかる気持ちを表している。そこには怖さはない。
ちなみに勇の反対語は、怯(キョウ)おびえる、おそれる、おじける、しりごむ、ひるむ、すすまない、心が去る、心が逃げる。卑怯者とは、許しがたいとか嘘つきとかいうイメージがありますが、単に臆病、弱虫、尻込みの意味だそうです。剣道の修業は、基本を身に付ける形の練習の一人稽古も大事だけれど、勇とか眼とかを身に付けるためには、対人間の稽古をして、怖さを体験しないと駄目なんです。本物の刀程の怖さはないけれど、試合をすると感じますよね、打たれる怖さを。怖さを内在しているのが、剣道というスポーツの素晴らしい一面でもあるのです。怖いからと言って逃げてばかりでは、現代剣道の快感は得られない。怖さを捨てて、剣を交えて勇の心を育て、眼力を育て、自分を育て、そのことを以て、相手に感謝し、相手のためにも相手を打ってあげる努力をする、打つことは自分のためでもあり相手のためでもある。なんと剣道の素晴らしいこと。
交剣知愛を深めよう!!!!!!!!