スウ・ドン剣法免許皆伝55剣風様々示現流への目覚め

剣先動かす動かさない、人それぞれいろいろあるが、今は剣先を動かす人の方が主流な気がする。私も若い頃は、鶺鴒の尾(セキレイという鳥が尻尾を振る様)の様に剣先を動かしていた時期がある。かの昭和の武蔵中倉清先生の剣風も竹刀を上下に動かしていた。剣聖持田盛二先生はスルスルと中に入ってくる剣風だったと聞いた。時々真似もしているのだが、思うに、剣先を動かすのは、竹刀剣術が始まり防具剣術の稽古が始まった歴史的流れの中での自然発生的な技術の一つだと思う。重い刀はチャカチャカと動かすのはムダな力の使い方でもあり、疲れる率は高いだろう。軽い竹刀だから、自然と動かしてリズムを取るようになっていったのだと思う。現代剣道の技術としてそれは否定はしない。あるいはまた、踏み込み足で打つようになったのも、軽い竹刀のせいであると思う。日本剣道形に残るように、刀の場合は主に上から下に斬リ下ろす刀の重みそれだけでもパワーだ。だから足はパワーを受け止めるすり足からの踏み足ぐらいでいい。ところが竹刀は軽いので、踏み込み足をする事で竹刀に加速力を付ける事になり、刀と同じようなパワーを発揮する感じに自然となっていったのだ。例えば、車に乗っていて急ブレーキを踏むと、補助席の人は加速が付いて前に体が傾くというか進んでしまう。あるいは、ソフトボールのピッチャーのウインドミル投法は、腕を上から後ろに大きく回して下へ振り出し、腕を太ももにぶつける。ブレーキをかけるのと同じ理屈だ。するとボールは加速を付けて前に飛んで行く。分かりにくいかも知れないが、剣道の踏み込み足も同じ理屈だ。右足でドンと踏み込むことで上から下へのパワーを床が受け止めて、ストップさせる。ブレーキと同じ理屈だ。踏み込んだ瞬間に、下へ行っていたパワーは反発して上へのパワーに変換される。すると、下へ落ちて行こうとしている竹刀は、ストップをかけられた時のように加速されて下へ落ちて行く。すると強い当たりになって面部分を叩く。分かりにくいかも知れないが、だから竹刀剣道では踏み込み足が大切なのである。踏み足乗り込み足と、踏み込み足は少し違うのだ。地面にめり込むぐらいの意味合いで、足をドンと踏まねば意味はない。踵を痛めるのは、足の使い方が悪いせいである。
刀の操法の理屈を含みながら、少しずつ変遷してきている現代剣道であるが、私は今、示現流に目覚めている。故郷薩摩の古流だから、若い頃から知ってはいたが、現代剣道と結びつけて考えた事も練習してみた事もなかった。でもいろいろ知ってみると、現代剣道にも取り入れていける部分があるなと思っている。それこそ幕末の世に新選組の近藤勇を最も怖がらせた薩摩の初太刀である。我が生死を怖れず八相に構え、相手に走り寄り、相手が受けようがお構いなく、大きな発生と共に斬リ込み、連続左右打ち、その気力威力たるや鬼気迫るものがある。それは恐れるだろうな、泣く子も黙る新選組と言えど。全く同じように現代剣道で出来る訳ではないのだが、その剣風と気力をヒントに、自分で考えた技が三本ぐらいある。そして気付いてみると、その時私の剣先は動いていないのだ。これが時々とても気持ち良く決まるのだ。まさに「快感!!!」としびれる薬師丸ひろ子の気分だ。ちなみに、ヒントにしたのは、薬丸示顕流というのだけど。
今の所、自分の中の秘太刀三本として稽古を積んで行こう。刀の時代の教えは、現代剣道でもずいぶん役に立つものだ。