TDL2 DNAピラミッド

ディズニーで会ってしばらくしてから、一人で親父の家へ行った。江ノ島の片瀬海岸の駅を降りて、家を探しながら歩いて行くと、向こうから来る一人の青年が
「お兄さんですか」と言ってきた。弟だった。親父が僕の母と別れてからできた家族の一員である。「エーどうしてわかったの」「だって親父の若い時とそっくりだから」そうか君は親父さんの若い時も知っているんだねと、なんだか悔しさと、似ていることの喜びの感情をぐるぐる回転させながら、二人並んで歩いて親父の家へ行った。妹も遊びに来ていて、それぞれの家族のこと、仕事のこと、いろいろと話しは尽きなかった。妹は僕と同じでパンが好きだと言った。親父はボクシングが好きだと言って、世界チャンプの試合のビデオをくれた。競馬も好きだと言った。僕もボクシングも競馬も好きだ。弟はたぶん母に似たのだろう、僕との共通項はその時は見いだせなかった気がする。僕の息子もボクシングが好きだ。ついでにも一つ言うと、女性の好みもおんなじだった、部屋に飾ったポスター、俺と好みが一緒かよと思ったことがある。あーこれってDNAの為せる技だよなあ、一緒に育っていなくても、DNAが導く性格嗜好なんだよなあと、感慨深いものがあった。初めて会ったのに、人間は脳みそのおかげで、親近感というか安らぎというか、満足感というか、アタタカイ空気を感じる。
考えてみると、僕という存在がこの世にあるということは、必ず二人の親があり、その親にもまた二人の親があり、この時点で僕には四人の先祖がいる。それをずっとずっと辿っていくと、無数のDNAのつながりがあって、今現在の自分はそのDNAピラミッドの頂点にいるんだということ、ピラミッドのどこかのピースが一つでも欠けるとピラミッドは成立しない、そう考えていくと、誰と誰がどこで別れたとか、私を捨てたとか関係ない、存在するということは、必ずつながりがあるということだ、それはとてもありがたいことなのだ。
次の正月、家族五人で遊びに行った。今は懐かしい五右衛門風呂があって、五歳になる娘と一緒に入っていたら、
「パパ、イボキョウダイって何」
って聞いてきた。こんな小さな子が異母兄弟なんてとびっくりしたが、みんなの会話の中に出ていたのだろう、僕の頭の中には少しも残っていなかったが、娘の頭には、イボキョウダイという響きが残ったんだろう。娘も三人兄弟だからキョウダイという概念はあっただろうからなおさら。わかったのかわからないのかわからないが「でも兄弟なんでしょう」と言った。ソウダヨーと答えながら娘の背中を流した一風呂だった。
娘はオバアチャンとも何の屈託もなく、八百屋さんに買い物に行ったりと、楽しく付き合ってくれている。
こんな楽しい時が後何年続くのだろう。
思いきって会って良かった。
江ノ島片瀬海岸の波と月が、人生を
ああ無常、されど有情と語りかける。