副反応と台風と読書
おととい2回目のワクチンを打ってもらい、今日で都合3日目。
おそらく反応が強く出て、しかも台風で散歩も出来ないだろうと諦めてAmazonに本をオーダーしておいたやつが昨日届く。フィッティング関係の身体とか力学とかバイメカ関係の本。
ぼくは研究者でも医者でもないので、じぶんのコメントにエビデンスがない。
なので、裏付けとして完成したメソッド(方法論)とか、他人の考え方を使わせてもらっている。他人のロジックはたまたま同じということもあるけど、たいていは受け売りと言ってもいいかもしれない。
それでも、そのロジックを理解して、さらにそのロジックの源泉がどこにあるかまでは調べてからお客さんの前で使っている(つもり)。なので、これら読書はその裏付けづくり。アリバイともいうww
とくに算数と理科は苦手なので時間をかけるしかない。二進数でデジタルに理解できないし、1バイトでは直感的に理解できないので、アナログな絵とか図解とか、あるいは2バイトの母国語に変換すると理解できる。だからメモとか絵が大事で、今日は休んだFacebookライブでもイラストを多用している。お客さんに理解してもらう前に自分で再言語化できるまでプロセスが必要なのだ。
そんな、損な? 思考回路が呼び寄せたのが『身体構造力』という本。整体院を経営している先生が書いた本なんだけど、医療の歪みから日本の構造を説いたり、タイトルにある身体が構造する力について書いている。
その中に、詩は行間を読めというが単語がわからないのに行間は読めない、というようなことが書いてある。おおよそ表面的な理解はできるのだけど、よくよく考えてみると理解できていないことがよくある。常々、フィッティングも感覚的なところと定量的なところを並行な2軸で捉える必要があると思ってる。
ことばや勢い、それまでのバックグランドだけで語って“納得”したかのようなフィッティングもできるけれど、それはどうも自分の流儀ではないし、語るだけのバックグランドもない。
翻って、仕事や人生の中にも、ひたすら単語を集めている時期があるのかもしれない。どんな文章、形になるのかも分からないけど、集めないことには始まらないし、集めないと何かが崩れていく感じ。ひたすらインプットし続ける。いつ終わるのか、いつアウトプットできるのかはわからないけど、とにかく反復練習みたいな。
そして、エビデンスや裏付けは、ある日突然ひっくり返ることもあるということは覚えておかなければならない。もっと身近なところで言えば、トライアスロンではこれまでに数え切れないバイクの乗り方、ペダリング技法、フォームが消費されてきたということだ。要は正解はないのだ。故に情報の仕入と販売のサイクルを上手に繰り返さないと、フィッターもバイクショップも業界も回っていかない。悪いことではない。むしろ必要なサイクル。
思考が飛躍して無限ループに入りそうなので、適当に店じまい。
今晩はfacebookライブをキャンセルして申し訳なかったです。
来週またやりたいと思いますので何卒ご容赦を。
しゃべることを、整理して編集してからしゃべることって結構特殊な技術だと最近気づいた。割と無意識にそういう業務とか作業をやっていたけど、そうでもないのだと。
ぼくが受けてきた学校教育には含まれていなかったなあ。
むしろ家とか塾での影響が大きいと思ってる。それについてはまた別途ww
↑今日はこんなことを喋りたかったのですww
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?