見出し画像

香港生活ウロ覚え

私Shin-EIがこの「香港」という面白い事この上ない街に関わるきっかけになったのは、某商社のモーレツ社員であった父の転勤についていくという比較的よくあるパターンです。まあ面白くもなんともない。

1978年の春のこと、小5に進級した私に振って沸いたのは「近々香港に転勤になる、家族も一緒」という話。聞いた当初は素直に「外国に行ける!」と喜んだのです。
が、よーく考えてみると、

若い女を売り飛ばす先は、常に香港!
麻薬密売組織のアジトは、必ず香港!
ニセ物時計を作るのは、いつも香港!


……。

当時の認識なんてこんなもの。恐いじゃないですか、そんなところ。大丈夫なのか?
そして一足先に香港へ飛んだ父からの手紙には、
「スリが多い」
「引ったくりが多い」
「日本人は狙われやすい」
「みんな冷たくて助けてくれない」
「警察が信用出来ない」
「貧富の差が激しいから治安が悪い」
などなど、不安をあおるネガティブワードが並んでいました。
それでも数冊の旅行ガイドを読み倒していくうちに、「外国に行く」という未体験ゾーンへの好奇心は恐怖に打ち勝ちまして、その年の8月に胸を躍らせながら上陸を果たしました。

当時はあの啟德機塲でした。母の後について飛行機から降りたときの第一印象は「黄色い」。案内板があちこちにあるのですが、なにしろすべて黄色地に黒文字なのでそのコントラストはちょっと目に痛いくらい。
イミグレを通過して父と再会し、ちょっとホッとして空港の自動ドアを出た瞬間に感じたのは「臭っ!」です。酸化した油のようなニオイとゴミ収集車のようなニオイ。猛烈な湿気とあいまって個人的不快指数は急上昇。こんなところに3年も住むのかよ……。
会社差し回しの日産セドリック(で、ちょっと機嫌なおる)に乗って着いたマンションは北角・雲景道にありました。そこで実感するのであります。

「貧富の差が激しい」とはこういう事であると。

家は20階建てマンションの19階。リビングは30畳(くらいに見えた)、各部屋にクーラーが付き、バス・トイレが二つもある。勝手口もあり、メイド部屋に専用シャワー・トイレまである。雲景道って言うくらいですから、時にはマンションの上層部が雲に覆われてしまいそうな高さ。ベランダからの見晴らしは最高で、九龍半島が一望出来る。当然啟德機塲も見放題。ちなみに家賃は月$5,000.-以上したのですが、もっと高級なマンションに住んでいる日本人も沢山いたことを後になって知ることになります。
しかし、鉄格子の付いた裏窓から見えるのは不法滞在者や無業者の住まいと思われる、廃材で建てたようなバラックの密集地帯。「木屋區」と言うそうな。

これは大変なところに来てしまった。香港在住の日本人はどれだけ贅沢な生活をしているのかと思い知りました。これって、1978年のことですから別にバブル期の話ではありません。それどころかオイルショックから何とか立ち直ったばかりなのに、今度は急激な円高で大変だった時代です。それでもこの生活水準ですから、当時の香港庶民からすればそれはそれは金持ちに映ったでしょうねぇ。こりゃ日本人が狙われるわけだ。大体、19階の窓に鉄格子が付いているっておかしいじゃん!泥棒も命がけってコト?

そんなコワ~い香港ですが、夏休みに引っ越してきたので宿題らしい宿題もない、小学生にとってはゴールデンなひと夏となりました。やはり治安の不安から基本家にいますので、テレビ見放題!日本のアニメやらドラマやらが広東語吹き替えで、毎日放送されますから退屈しないんです。再放送を見ている感覚ですね。お陰で「救命啊!」「飛彈」「咩話?」「快的走!」「明智、我係千面大盗!」(字ヅラでおわかりかと思いますが怪人20面相です、でも50倍はやりすぎだろ)とか、特定のセリフやフレーズはすぐに覚えてしまいました。

さて、1978年といえば40年以上も前のことになります。なかなかピンと来ないでしょうから当時の物価水準を紹介しますと、

タクシー初乗り $2.-
ミニバス 北角⇔大丸(銅鑼灣) ほぼ$1.-
路線バス 中巴25番(北角・中環循環路線) ほぼ50¢
空港バス 尖沙咀行き $1.-
     中環行き $2.-
トラム 30¢
スターフェリー 一等30¢、二等20¢
山頂纜車 $1.5-
人力車 交渉次第? (ぼったくりが多いのでついに乗らずじまい)
コーラ(200ccくらいの瓶) 80¢~$1.-
半島酒店 シングル一泊 $300.-くらいから
カセットテープ 広東語・北京語歌手 $15~18.-(海賊版 $10.-以下)
        英語(輸入版?) $30.-以上

レートは$1≒40円くらいで計算してください。こうして見るとコーラが意外に高いですね。
なんとまだ地下鉄は建設中でした。当時輸送力増強のため、トラムが単層のトレーラー車両を引っ張っているのをよく見かけましたが、後に騒音の苦情が多発してやめたそうです。

さて、こんな調子でつらつらと昔の香港を紹介していこうと思っています。何しろ古い話、細かいところの記憶違いはあるかもしれませんがそこはご寛恕下さいませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?